技術重視からお客さま重視へ
サービスの充実が成長のエンジン
現在のKDDIを牽引しているのは、携帯電話(au)事業である。実際、2005年度第1四半期のau事業の売上高は前年同期比10.2%増の5,395億円、営業利益は同16.4%増の931億円と、大幅な増収増益を果たしている。2005年6月に累計契約数は2,000万を突破し、EZ「着うたフル
(R)(*1)」の累計ダウンロード数も1,000万曲を突破。さらに、第1四半期の純増(*2)シェアは53.8%と引き続き好調を持続している。こうした好調ぶりは、お客さま満足の向上に取り組むTCS(Total Customer Satisfaction)を、全社活動として展開してきた成果といえる。そもそも電話会社は長い間設備産業として、先進技術の開発と設備の充実に、多大な労力を傾けてきた。その結果、すばらしい技術があればお客は付いてくるという過信があったといえなくもない。小野寺正社長も、「私自身も技術屋ですから、そういうところがあったことは否めません」と言う。
しかし、小野寺社長とKDDIはある時それをすっぱり断ち切った。もちろん先進技術に対する研究には惜しまず取り組み続けるが、決してそれを前面に出さない。その技術でどのようなサービスを提供できるのか。お客さまが今一番求めているサービスを実現するためには、どのような技術が必要になるのかという発想で、事業に取り組んでいくことを使命としたのである。そうした努力が、前述したEZ「着うたフル
(R)」や「FMラジオやテレビ放送との連携サービス」「全地球測位システム(GPS)を使った位置情報サービス」として結実。多くのお客さまからの支持へとつながっていったのである。
小野寺社長自身は、子供の頃から無線に興味を持ち、社会へ出てからも無線を専門とするエンジニアとして経験を積んできた。しかし、サービスの充実を使命とする背景には、自身が成長していく過程において技術一辺倒ではない柔軟さが醸成されていたということがあるのかもしれない。
*1 携帯電話だけで楽曲を1曲丸ごとダウンロードして再生できるサービス
*2 新規契約数から解約数を引いた数
ベビーブームの競争とは無縁
のんびり音楽と無線に親しんだ少年時代
広瀬川と青葉通・定禅寺通などのケヤキ並木が、四季おりおりに街を彩る、宮城県仙台市。「杜の都」といわれるとおり、政令指定都市でありながら、街は自然にあふれている。この仙台市のほぼ中心に位置する青葉区八幡地区が、小野寺社長のふるさとである。
生まれは1948年、まさにベビーブームのまっただ中。とはいえ小野寺社長自身は、中学生になるまでそのことを意識することはなかったという。それは通っていた幼稚園、小学校、中学校の影響だ。現在は宮城教育大学付属となっているが、当時はいずれも東北大学の付属校。1学年4クラスという少人数制だったため、同世代の多さや競争の厳しさを実感する機会がなかったのだ。
しかし、そんなのんびりとした環境が、心のゆとりを育んだ。広瀬川の河原を駆け回る一方、家のなかでは図鑑を眺め、科学の魅力に引き寄せられるという、幅広い感性を身につけた。その感性がある時、「無線」という存在をキャッチし、その魅力は小野寺社長をどんどん引き付けていったのである。そしてさらに、そこに音楽が加わっていく。
「母の影響もあって、小さい頃から音楽も好きで、ラジオで海外のポピュラー・ミュージックをよく聴いていたんです。音楽と無線という趣味が、私のベースにはずっとあるのかもしれません」
この言葉通り中学、高校、大学とずっと放送委員会・放送部に所属。つまり、機材を自由に使えて、好きな音楽まで流せる放送委員会は小野寺社長にとってうってつけだったというわけだ。昼休みの放送や学園祭ではDJとして、大いに活躍した。特に仙台二高時代には、委員会でレコードを購入する予算が足りなかったため、なんと自ら音楽の“調達”を買ってでたという。
どのような方法を用いたのかというと、「映画館と交渉して、映写機のラインアウトから直接録音させてもらったんです。まさにサウンドトラックそのものですよ」。今とは違って著作権に対する概念がまだまだ整備されていなかった時代だったことが幸いした。
「テープレコーダーに触れることも嬉しかった」と笑うが、周囲にはそうしたことを思いつく人も、実行する人もいなかったという。自らアイディアを出し、映画館との交渉に出向いたほどであるから、その行動力には驚くものがある。自分が興味を持ち、可能性があると踏んだら、どんどん進む。こんな前向きな姿勢もまた、小野寺社長の際だった個性のひとつなのかもしれない。
旺盛な行動力と前向きな姿勢が
無謀といわれたDDIへの転職を決めさせた
東北大学工学部へ進学してからも、小野寺社長の無線や放送への興味が尽きることはなく、放送部に所属。しかし、機材に触れるのが楽しいという理由で入部した理系の小野寺社長は、放送部では少数派だった。周りはアナウンスや演出などを担当する文系学部の学生が多く所属していた。「NHKのアナウンサーになった仲間がいたくらいでしたから、交流を深めるなかでラジオドラマづくりや報道番組に必要な発想や、社会を広く眺める眼を、知らず知らずのうちに学んでいたのかもしれない」と言う。
この時の経験が、現在目指すお客さまサービス重視とTCSの積極的な推進に、ダイレクトにつながっているとまでは言わない。しかし、こうした経験が心の奥底に根ざし、後の技術一辺倒からの脱却につながったことは間違いない。
とはいえ大学卒業後は、その専攻からすれば順当といえる日本電信電話公社(現・NTT)へ。入社後は無線中継所のような現場を皮切りに、無線分野のエンジニアの道を歩き続ける。しかし83年、小野寺社長が35歳の秋に京セラ社長(現・名誉会長)の稲盛和夫氏から、第二電電企画(後のDDI)設立への参加を打診されたことで、その人生は大きく転換していった。
当時の小野寺社長は、入社14年目。中堅社員として大いに活躍していた。ポストも将来有望といえる地位に就いていたという。周りから見れば、そのまま電電公社に残っていたほうが、将来的な不安もなく安泰だ。しかし、小野寺社長はそれをあえて振り切って、新会社への転職を決意した。それは、「当時、電電公社はすべて縦割りで、やれることは限られていました。私はそれがちょっともの足りなかった。ポスト的に先が見えているのも、つまらなかった」からだ。
当時はDDIを、真っ先に失敗する可能性が高い新電電とする下馬評もあった。当然、周囲には「無謀だ」と引き留めるものも多かった。しかし小野寺社長は、そうした会社だからこそ、おもしろいと感じた。「マイクロ通信の立ち上げを、すべて任せてくれるのなら」という一層チャレンジングな条件を掲げたのも、そのため。やはりこの時も、どんどん進む前向きな姿勢が、小野寺社長の行動を支えていたのである。
DDIに入社後は希望通り、東名阪のマイクロ通信網の整備を担当。たった3年という短期間でその構築を成し遂げ、業界を驚かせた実績は、今でも語り草になっている。
若きリーダーが、新しいビジネスを作り
KDDIはサービス産業としての道を行く
そして2001年。53歳になって、さらに大きな転機を迎える。DDI、KDD、IDO3社が合併して前年10月に発足したKDDIの社長就任の話が持ち上がったのだ。とはいえ、当時は、名誉会長に現・京セラ名誉会長の稲盛和夫氏と現・トヨタ自動車名誉会長の豊田章一郎氏、会長に現・ウシオ電機会長の牛尾治朗氏など錚々たる顔ぶれが揃っていた。「最初は冗談じゃないと断りました。しかし、若い会社で新しいビジネスをやるんだから、若いリーダーでないとダメだと稲盛さん、牛尾さんに説得されて承諾したんです」
統合によって誕生したKDDIのその後の急成長は、広く知られているとおり。小野寺社長は就任早々、マーケティング部を新設し、お客さま視点を強調。デザインを重視した端末の開発、パケット通信料金の定額制、音楽系コンテンツの充実など、次々と新機軸を打ち出した。それらが現在の成長のエンジンとなっていることも明らかである。
KDDIは今、経営基盤の強化期から、次の利益成長に向けての顧客基盤拡大期へと、新たな成長ステージに進んでいる。携帯電話事業では2005年10月のツーカーグループ3社吸収合併という具体的な施策が進み、固定通信事業では光ファイバーで東京電力との連携の話も持ち上がっている。
「この業界はいずれ2〜3グループに集約されていくでしょうから、これからも合従連衡は続くと思います。当社は、それにひるまず立ち向かっていくとともに、TCSを自らの使命として、サービス産業としてのKDDIを広めていくこと。そして、将来の料金定額の時代に向けていかにお客さまの数を増やしていくか、そして通信料以外の収入をいかに増やすかに、全精力を傾けていきたいと考えています」
そのためには、携帯電話端末だけでなく、使いやすい料金や魅力的なコンテンツ、そしてそれらを提供する通信インフラ、これらすべてが重要となる。さらに、「ユーザーの方にしてみれば、自分が移動系の通信インフラを使っているのか、固定系の通信インフラを使っているのかはあまり重要ではなく、どれだけ便利なサービスが受けられるかが重要ですよね。その点、当社は携帯電話と固定電話の両方を1社で手がける国内唯一の総合通信会社として、『世帯まるごとKDDI』を合言葉にさまざまな可能性を探っています」。ユビキタス社会の主役を担える体制をいち早く整えていくことこそ、今のKDDIの最大の目標ということだろう。
こうした新たなステージにおいても、小野寺社長が掲げる基本姿勢に変わりはない。“お客さま第一主義”である。その理念のもと、第2の成長期を迎えようとしているKDDIから、ますます目が離せない。