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トップの素顔 2004年夏号 Vol.66
 

武田薬品工業株式会社

代表取締役社長 兼最高執行責任者(COO) 長谷川 閑史 氏
代表取締役社長 兼最高執行責任者(COO) 長谷川 閑史 氏 長谷川 閑史(はせがわ・やすちか)
1946年6月山口県生まれ。70年早稲田大学政治経済学部卒業。武田薬品工業入社。TAPファーマシューティカル・プロダクツ(米アボット・ラボラトリーズ社との米国合弁会社)社長、医薬国際本部長を歴任。同社きっての国際派として知られ、米国生活は延べ10年を数える。99年取締役。経営企画部長、事業戦略部長を経て、2003年6月に社長就任。若い頃から山登りを趣味としており、今も自然のなかにいることが何よりの気分転換という。

与えられた能力をフルに発揮して
目標完遂に突き進むだけ

世界的製薬企業を率いる、社内きっての国際派
世界的な規模で医療費の抑制が強力に進み、ますます厳しい局面に立たされている製薬業界。
12期連続で営業最高益を更新した武田薬品工業といえども、その荒波は容赦なく襲いかかっている。
この危機的局面をいかに乗り切っていくのか。いかに速やかに世界に伍する製薬企業になるのか。
社内きっての国際派・長谷川閑史社長の手腕に、大きな期待が寄せられている。

世界的製薬企業という将来像に向かって
やるべきことを着実に実行していくだけ

 2004年3月期で12期連続の営業最高益を更新し、日本経済新聞社主催の「日経優良企業ランキング」2003年9月27日付、日本経済新聞でも2003年度の首位に輝いた武田薬品工業。10余年間で、ブロックバスター(1製品で1,000億円以上売り上げる大型商品)を4品目も発売したことが、この好業績を支えてきたといわれている。しかし、世界の製薬メーカーは業界再編による合従連衡で巨大化し、国内トップの武田であっても世界ランキングでは15位。決して安穏としていられる状況ではなくなっている。
 こうした危機をいかに乗り越えていくのか。長谷川閑史社長に課せられた使命の大きさは想像に難くない。しかも先代社長は、10年間にわたり同社を率いた、創業者一族の武田國男現会長。カリスマ社長といわれ、トップダウンで数々の改革を推し進めてきた人だけに、その後を引き継いで、自身のカラーを発揮していくのも、相当の苦労があると思われる。
「自分の色というのは、当分見えないでしょうね。意識して見せようとも思っていません。世界的製薬企業という将来像に向かって、やるべきことを着実に実行していくだけです。究極の評価は、最終的に新薬が出るか出ないか。私がやっている間にも、成果が出るようにしなければならないと思っています」
 さらに、「結果は自然とついてくるものだし、運もある。社長だから結果が出なければ責任をとるだけ」と続ける長谷川社長の腹のくくり方は、堂に入っている。とはいえ、先代社長のように強烈なリーダーシップに基づいたトップダウン経営を実行するつもりではないという。
「武田会長はあまりにもカリスマで偉大。それだけに、会長に頼りすぎるようになっていたことも事実です。本当は現場レベルの基本組織のリーダーが、責任を持ち、腹をくくって、会長、社長と勝負しなければいけない。早くそれができるような組織にしたいですね」と言う。

生来そそっかしい性格だからこそ
周囲の声に耳を傾け、熟慮断行で臨む

 実際、現在の長谷川社長の経営スタイルは、できるだけいろいろな人にフランクに意見を言ってもらい、そのなかから会社としてのベストな選択をするというもの。だから、言いたいことがある人は、いつでもウエルカムという姿勢。特に朝の8時から9時までなら、アポイントメントなしでの社長室訪問もOKとしている。これにEメールや電話もあるから、社員たちとのコミュニケーション量はかなりのものになっている。
 こうしたスタイルは、管理職として組織をまとめ、動かす立場になってから、徐々に身につけてきたもの。若い頃は、そのそそっかしさゆえの失敗もずいぶんあったという。例えば、兵庫にある工場の勤労課に配属された入社間もない頃。工場報の制作担当として写真撮影をした際、カメラにフィルムが入っておらず、再度撮影に行ったということがあった。工場内では「フィルムの入ってないカメラを持ってきた、そそっかしいやつ」と有名になったという。
 こうした若き日のそそっかしさは、もしかしたらその行動や頭の回転がほかの人よりもずっと速いということと紙一重だったのかもしれない。
「何か課題があると、答えがパパッと浮かぶわけですよ。それをついつい口に出しちゃう。家でも、妻に悩みなんか相談されても、こうしたらどうだ、ああしたらどうだと、つい指示してしまうんです。すると『私はあなたの部下じゃない』と言われる。『何もあなたに指示を求めてるわけじゃない。相談してるだけなのに、なんでそんなふうにああしろ、こうしろって言うの』となるわけです。だから気をつけないといけないなと、思っているんです。妻は率直に言ってくれるけど、部下はたぶん言わないでしょうからね」
 もともと思考するスピードが速く、独断専行タイプであるという自覚もあるから、今では余計に周囲の声に耳を傾け、熟慮した後、行動へと移すようになったのだろう。自身では、こうした性格は父母それぞれから受け継いだものであるとともに、その育てられ方にも影響されているのではないかという。

受け継いだのは、新しモノ好きの父の性格と
どんな環境も楽しむ、おおらかな母の性格

 実家は代々医師の家系で、父も故郷の山口県日置町で開業していた。しかし、祖父が亡くなって無医村になってしまうのを避けるために帰郷したようなもので、もともと働いていたのは岩国。しかも、新しモノ好きの性格だから、農業が中心の田舎の村に移り住んでからも、クラシック音楽を聞いたり、地域の人にダンスを教えたり、相撲大会を開いたり。村にはない都会的な楽しみに次々と取り組んでいた。
 一方、母の実家は寺院で、「医者の息子と坊主の娘で、いい組み合わせ」と長谷川社長は笑うが、その母がまた腹の据わった人。新しい環境に入ってもまったく動じない、度胸のある人だったという。古い因習にとらわれず、新しいことにどんどんチャレンジしていく父の性格と、新しい環境に飛び込んでも、逆に楽しんでしまうような物怖じしない母の性格。その両方が、長谷川社長のなかには息づいているわけだ。
 しかも父の教育方針というのが、完璧な放任主義。「勉強しろ」と言われたことは一度もなく、逆にやんちゃなことをすればするほど喜んだ。だから幼少時は、学校から帰ると裏山を飛び回り、ワナを仕掛けて鳥を捕ったり、相撲をしても勝つまでやめなかったり。ワンパクが服を着て歩いているような少年だった。
 中学に上がる頃になると、「さすがにこのままではいかんだろう」と、生家を離れて福岡へ出される。福岡には5つ年上の兄がおり、父親も九州の大学を出ていたということで、知り合いも多くいたからだった。こうして長谷川社長は、中学・高校の6年間を、福岡で過ごすことになった。
「それが逆に、拍車をかけたのかもしれません。住まいは下宿で、自分勝手なことがやれましたからね。起きたい時に起きて食べたい時に食べる。部屋はどんなに汚くしても、誰も何も言わない。しかも周りは大学生ばかりだったから、ろくでもないことから立派なことまで、何から何まで教えてくれて。実におもしろい環境でした」

与えられた能力をフルに発揮しないのは
親に対する忘恩、創造主に対する冒涜だ

 むろん早稲田大学へ進学するぐらいだから、成績が悪かったはずはない。しかし、自由な放任の環境で育った性格は、大学生になってもあまり変わらなかった様子。学園紛争のさなかということもあり、学業に精を出すということはなかった。アルバイトを始めたら本業のようになり、1年生の頃はほとんど学校に行かなかった。金を稼いでは旅行をしたり、山に登ったり。大学に行くのは、麻雀の仲間を探しに行く時と、生協の安い定食を食べに行く時、という毎日だった。
「しかし、それくらい勉強しなかったもんだから、エネルギーが貯まってたんじゃないですかね。社会人として努力するだけの余地が、自分のなかにかなり残っていたんだと思います」
 武田薬品工業に入社し、工場と人事部にそれぞれ3年、労働組合の専従を8年。余っていたエネルギーを使うことで、そそっかしさを徐々に抑えつつ、企業人としての力を身につけていった。そして、30代後半になり、医薬国際本部に異動したところで、その実力が見事に花開いていったのである。
 社内きっての国際派といわれるのは、こうした経歴あってのこと。実際、ドイツに約3年、アメリカには約10年在住し、現地法人の社長も経験。帰国後も医薬国際本部長として、海外戦略の推進に力を尽くしてきた。
 さらに武田薬品工業は今、日本発の真の世界的製薬企業を目指し、パイプライン(開発段階にある有望な新薬候補)の強化に多大な力を注いでいる。そのために、海外の研究機関との共同研究や提携を積極的に進めようとしている。ここにおいても、長谷川社長の経験に培われた知識とネットワークは、大きく寄与するにちがいない。
「与えられた能力をフルに発揮しないのは、それは親に対する忘恩だと思うし、創造主に対する冒涜という気がします。もちろん、すべての局面に最適の答えを出せるだけの能力があるとは限らないでしょうが、ベストだけは尽くしたい。そうすれば少なくとも、後悔だけはしなくても済むでしょう。私はどんな仕事をするにしても、後悔だけはしないようにしたいと、常々思ってきたんです」
 次期社長を要請された時、長谷川社長は「私は私で変わりませんけど、それでよろしいですね」と言ったという。むろんそれは、周囲の意見に耳を貸さず、自分のスタイルを押し付ける、という意味ではない。親から受け継いだ自由奔放で何ごとにも動じない性格、そして、経歴のなかで培ってきた、周囲の意見に素直に耳を貸しつつ熟慮断行するスタイル。その2つの側面は、社長になっても変えられないという宣言だった。
 大馬力のエンジンと制動性に富んだブレーキ、この2つを併せ持っているところにこそ、新しい武田薬品工業を築いていく力が秘められているのである。武田薬品工業が世界と戦っていけるかどうか、託された役割の重さをものともせず、長谷川社長はすでに走り出している。



健康の秘訣は、毎朝1時間のエアロバイクと週末の3時間の散歩

 土日は仕事のことを一切忘れ、夫婦二人で過ごす。大阪勤務の時はよくハイキングに出かけたが、東京では近くに手頃なところがないため、もっぱら散歩。3時間ぐらいかけて、明治神宮から外苑、東宮御所の周辺を歩く。天気がよくて調子がよければ、さらに皇居まで回ることもある。そもそも食べることが何よりも好きなため、運動には精を出してきた。現在も毎朝1時間弱、室内でエアロバイクをこぎながら、日本経済新聞を読むのを日課にしている。



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