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IR MAGAZINE トップの素顔 先駆者の大地
先駆者の大地 2000年9〜10月号 Vol.45
 

舞台を世界に見据えた国産ミシン創始者魂
ブラザー工業創業者 安井正義

創業者安井正義の父・兼吉。彼もまた、ミシンに魅せられた技術者のひとりであった


日本が工業化されるはるか以前、
わずか17歳で、ミシンを輸出産業にまで育てようと決意した
創業者、安井正義とその兄弟たち。
小さなミシン修理業から始まった安井兄弟の会社は、
高い技術力で不可能を可能にしながら、
いまやファクシミリで全米No.1のシェアを誇る
グローバル企業へと成長した。

1932年に生産が開始された国産家庭用ミシンの量産化第1号機。
安井兄弟の和を表すbroTHERの商標が、金色の文字で記されている

創始者、安井正義(右)と副社長でもあった実弟である実一(左)。
しばしば二人で、長時間議論を戦わすこともあったという

「安井ミシン商会」の9歳の技術者

  全米のファクシミリのシェアで6年連続No.1の地位を獲得(PTR調べ)しているのが、実は、日本のブラザー工業であると聞けば驚かれる方も多いだろう。ブラザー工業は日本ではミシンメーカーとして認知されているが、海外では情報機器メーカーとしての知名度が高い。名古屋にあるブラザー工業のショールームには、創業者、安井正義の手になる「創業の精神」が掲げられており、そのなかに「輸入産業を輸出産業にする」という一条がある。大正から昭和初期、資源も技術もない日本で国産の工業製品を完成させることが至難であった時代に、さらにそれを輸出産業に育て上げることなど、夢のまた夢であった。しかし、正義の夢はそこから始まった。そして当然の如く、それは決して平坦な道のりではなかった。
  安井正義は、1904年、名古屋市熱田区に6男4女の長男として生まれた。父兼吉は熱田歩兵工廠に勤務する職工であったが、無類の機械好きで、1908年、27歳の時に、自宅に「安井ミシン商会」の看板を掲げ、ミシンの修理販売業に専念することとなった。自宅の6畳間を改造したこの小さな修理工場が、ブラザー工業の萌芽である。兼吉は体が弱く、そのうえ、腕ひとつで10人の子供たちを養わなければならず家計は楽ではなかった。正義は父を助けて9歳の頃から仕事場に立ち、ミシンの技術を覚え、父の技術者魂を受け継いでいったのである。

輸入産業を輸出産業にする

  1918年に第1次世界大戦が終わると、世界的な不況の波が押し寄せた。安井ミシン商会でも、ほとんど仕事がない日々が続いていた。人々は働きたがっていたが仕事がない。それは日本に工業がないからだと正義は考えた。誰もが働ける時代を作るために日本を工業化させたい、何としても国産ミシンで工業を興したいという思いに、彼は次第に突き動かされていった。
  1921年、17歳の正義は、大阪でミシン修理業を営む松原商会へ修業に出た。大阪はミシンの本場である。しかし出回っていたのは95%がアメリカのシンガーミシンで、残りはドイツとイギリスのものだった。国産ミシンはついぞ見かけることがなかった。当時、シンガーは訪問販売、月賦販売システム、アフターサービスの良さで他社を駆逐し市場を独占していた。その支配力をまざまざと見せつけられたのである。こうして正義は、その一生を決定づける重大な決意を心に期していた。国産ミシンで「輸入産業を輸出産業にする」という決意である。

国産第1号ブラザーミシン誕生

  ミシンの製造には少なくとも150万円、現在の価値で10億円以上の資金が必要だった。常識的に考えれば、17歳の少年にとってそれはどう見ても夢物語である。正義は、資金がないならミシンを作る機械も自作しようと考えた。しかし、その機械を作るための機械も必要である。そこで思いついたのが水圧機の製作だった。安井ミシン商会が修理していたミシンはほとんどが麦藁帽子製造用のカンヌイミシンで、得意先の帽子メーカーでは、ミシン以外に帽子をのばす金型と水圧機が必需品だったのだ。さっそくなけなしの資金で工作機械を買い独力で据え付けた。作業は正義が中心となって、次男の種雄が販売を担当し、小学校を出たばかりの四男実一が現場仕事を手伝った。
  こうしてミシン国産化をめざして安井兄弟の力が結集されていくこととなった。安井式水圧機は好評で、資金作りに大いに役立った。1925年暮れ、正義はその貯えと叔母から借りた3,000円を元手に、名古屋市熱田区に新店を構え、看板を「安井ミシン兄弟商会」と改めて、いよいよ国産ミシン実現へ向けてスタートを切った。
  まずは構造を十二分に知り尽くしたカンヌイミシンの国産化である。もちろん資金に余裕はない。コンクリート打ちから機械の製作、設置まで一切を自分たちで行い、兄弟総がかりでようやく新工場が完成した。そして1927年、カンヌイミシン国産第1号機が完成し、翌年発売となった。これは昭和3年に発売されたことから「昭三式ミシン」と命名され、同時に商標として、兄弟が協力した和の成果にちなみ「ブラザー」と名付けられた。昭三式ミシンはひとたび市場に出ると、外国製ミシンの10倍の耐久力を持つと評判になり注文が殺到した。
  自信を得た兄弟は、満を持して家庭用ミシンに取り組み始めた。正義はミシンの研究を重ね、次男種雄は販売のために安井ミシン兄弟商会の個人商店を開業、四男実一は技術力に秀でていたため、ミシンの心臓部といわれるシャトルフック(中釜)の研究に専念することになった。シャトルフックはミシンの最も重要な部品で、国産化の重大な鍵を握るものだった。例によって機械設備まですべて自分たちで作らなければならない。特に研磨機はまだ希少価値の高いもので、これを設計するために名古屋中を探し回り、ようやく見つけて見よう見まねで作り上げた。こうして悪戦苦闘の末、1932年春に工場設備が完成し、夏にはシャトルフックの量産化に成功したのである。そしてその年の暮れ、ついに長年の夢であった家庭用ミシン1号機が完成した。

安井ミシン兄弟商会から日本ミシン製造株式会社へ

  機は熟していた。1931年の金輸出再禁止と輸入関税の引き上げで、輸入ミシンは大幅な値上げとなったのである。加えて、労働史上に残るシンガーの大争議が勃発した。シンガー商法の機動部隊である全国のセールスマンが、アメリカの本社に待遇改善を要求して一斉にストライキに突入したのだ。結果は本社側の勝利で、多くのベテランセールスマンが退職した。この退職組が、シンガーを駆逐し国産ミシンを普及させようと、全国の組織網を持って販売面での協力を申し出てきた。1933年1月、正義は、名古屋市瑞穂区に木造平屋建ての新工場を完成させ、秋にはついに国産家庭用ミシンの量産化を開始した。そして1934年1月15日、安井ミシン兄弟商会を改組し、現在のブラザー工業の母体である「日本ミシン製造株式会社」を創立した。家庭用ミシン製造の夢を抱いてから11年目のことだった。

全米をカバーする販売基盤作り

  その後、販売代理店の数も少しずつ増加していた頃、第2次世界大戦が勃発、終戦になってみると主要な工場のほとんどが失われていた。1,600人に達していた従業員も150人を残して解散し、再起不能とも思われたが、正義はまたしても幸運に恵まれた。戦後の衣料不足を乗り切るためにミシンが必需品だったことに加え、軍の被服廠に納入していたミシン部品が無傷のまま返却されたのだ。終戦の翌年には輸出振興のために発足されたばかりの貿易庁が800台のミシンの輸出を決定し、日本ミシン製造はそのうちの200台を上海に輸出した。これがブラザーミシンの輸出第1号である。1948年には本場アメリカへの出荷も始まり、これ以後輸出は順調に進展していた。
  そして1954年、日本ミシン製造は、自社ブランドを自社の販売網で売るために、海外市場を担当するブラザー・インターナショナル株式会社(BIC東京)を東京の京橋に設立、その2カ月後にはBICニューヨークを設立して、全米をカバーするブラザー製品の販売基盤を確立した。やがてブラザーミシンはその優れた品質でアメリカでも人気を博し、「輸入産業を輸出産業にする」という正義の夢はひとまず達成された。

ブラザー工業株式会社誕生 そして、21世紀へ

  1954年から日本ミシン製造は、編機、家電などの生産に乗り出し、多角化を開始した。なかでも、BICニューヨークの再三にわたる要請で1961年に発売した欧文タイプライターは、全米で注文が殺到し不動の地位を築くにいたった。
  こうした製品の多様化に伴い、「日本ミシン製造」という社名はもはや実態にそぐわなくなっていた。そこで新社屋の完成を機に、1962年、すでに大きな財産となっていた「ブラザー」の名称を冠して、「ブラザー工業株式会社」と社名を改めることとなった。
  冒頭に記したように、その後のブラザー工業は高性能・低価格のファクシミリで全米を席巻し、現在では情報機器メーカーとして高く評価されている。「輸入産業を輸出産業にする」という創業の精神は実現したが、逆に国内ではいまだミシンメーカーのイメージが強い。こうした課題を踏まえて成長の基盤を作るために、今年の年頭、安井義博社長は21世紀へ向けての3カ年戦略「CS B2002」(Challenge and Strategy to Brother2002)を打ち出し、改革に乗り出した。強く、優れた企業をめざすブラザーの挑戦が、再び始まろうとしている。




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