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IR MAGAZINE トップの素顔 先駆者の大地
先駆者の大地 2000年5〜6月号 Vol.43
 

ゼロエミッションを完結する「環」
株式会社荏原製作所  荏原創業者 畠山一清

(6361 現・荏原株式会社)
荏原創業者
畠山一清

1912年、渦巻ポンプの国産化から出発した荏原。
創業者の畠山一清は、「熱と誠」を信念に「一人一業」を掲げ、
「水と空気」に関わる先駆的な事業を進めていった。
いま、「環境の世紀」と呼ぶ新しいパラダイムが見えてきた時、
荏原が、時代と人々の声に応えて培ってきたものこそ、
地球環境への負荷を最小限にするゼロエミッションの「環」を結ぶ
「環境総合エンジニアリング技術」であったことに気づくのである。

1913年、東京帝国大学に寄贈された「ゐのくち式渦巻ポンプ」

1921年完成の大崎工場はわが国初の最新鋭のポンプ専門工場

ゼロエミッション社会をめざし環境トップランナーが語り始めた

  滋賀県草津市にある琵琶湖博物館を訪ねた。呼び物は日本最大級の淡水水族館だ。トンネル水槽ではホンモロコ、ビワマス、ニゴロブナなどの固有種が群泳している。ここをはじめ全国の施設の半数近くを、荏原の「ライフサポート・システム」が支えている。
  あるいは、半導体生産現場での荏原の「ミクロの環境技術」。超高真空やクリーンルームに欠かせない真空ポンプや排ガス処理装置、超々純水製造装置、洗浄水をリサイクルする排液処理装置、ウエハー研磨装置、はんだ・めっき装置まで広範に提供している。
  荏原の環境総合エンジニアリング技術は、ごみ発電の本命とされる流動床ガス化溶融技術などの大型設備に目を奪われがちだが、生物環境から超ハイテク環境まで、きわめて幅広い。「ライフサポート・システム」などは、「クローズな」環境下で、生き物に必要な条件をすべて満たすという意味で、小さな「ゼロエミッション社会」といえるのではないだろうか。
  こうした展開にもかかわらず、「ポンプのエバラ」のイメージが強すぎて、荏原の環境総合エンジニアリング技術は、一般には認知されていない面もあった。荏原はつい10年ほど前まで、「技術と製品が語ればいいのであって、自ら誇る必要はない」という会社だったのだ。
  しかし、地球環境が危ぶまれるようになった今日、荏原は積極的に発言を始めた。地球環境の保全には、公害対策のような局所・対症療法ではなく、省資源・省エネ、廃棄物の減容・リサイクル、そして自然エネルギーの活用など多様なアプローチによる技術のベストミックスが必要だ。荏原はそのトップランナーとしての責務から、ゼロエミッションの「環」を結ぶ「循環共生型社会」の実現をめざす伝道者たらんとしているのだ。

渦巻ポンプの世界的権威井口博士との出会い

  荏原は、1912年(大正元年)、畠山一清が興した個人設計会社に始まる。畠山家は清和源氏の流れをくむ名門、父は能登・七尾城主だった。廃藩置県で所領を失い、「武家の商法」で事業にも失敗、彼が生まれた1881年にはすっかり零落しており、義兄の援助でやっと進学する有様だった。しかし、学業はきわめて優秀で、旧制四高から東京帝国大学工科大学機械工学科(現東京大学工学部)に進む。ここで、渦巻ポンプの世界的権威・井口在屋博士と出会う。
  畠山は1906年に機械工学科をトップで卒業。帝大の銀時計なら三井・三菱でも引く手あまただが、あえて鈴木鉄工所に入社する。経営者の鈴木藤三郎は氷砂糖の事業化で成功後、早造り醤油の事業に着手しており、その醸造工場を作る技師長に初任給50円(現在の50万円以上)と高給で迎えられたが、輸出用の樽が洋上で次々と爆発し、これが内紛に発展して、1910年に倒産してしまう。
  その頃畠山は、病死した父と長兄にかわって一族を東京に呼び寄せていた。生活を維持するため大会社に再就職を決め、恩師の井口博士を訪ねたところ、博士から「ゐのくち式渦巻ポンプ」を開発する国友製作所を勧められて入社することになる。ところが、国友も舶来品至上主義に負けて、2年を経ずに倒産してしまった。

戦時下の再スタートでゐのくち式渦巻ポンプを事業化

  井口博士の渦巻ポンプは世界が認めている。原理は羽車で水流に遠心力を与えて送出するものだが、博士の試作ポンプは揚程39.5m、平均効率69%という、当時としては驚異的な成績をあげていた。これを何としても世に出したい。畠山は自ら事業化を決意する。といって大家族を抱えて蓄えもない。苦肉の策として設計だけを行い、製作は外注する方法を考えたのだ。こうして、1912年、銀座に「ゐのくち式機械事務所」の看板を掲げた。30歳の再出発であった。
  井口博士の後見を得て仕事量は順調に増え、3年後には日暮里に工場を取得できた。おりしも1914年に第一次大戦が勃発し、輸入品が途絶したことも幸いした。国産品採用の動きが出てきたのだ。ある日、東京市から浅草の田町排水場向けに、口径1,140mmの大型ポンプ6台の注文が舞い込んだ。今日でも大容量のポンプだが、工場には満足な工作機械もないので、手ボール盤で穴をあけ、手ヤスリをかけて仕上げ、何とか納入した。ちなみにこのうちの1台は、1960年(昭和35年)に役目を終えたものを引き取って、羽田の本社中庭に展示してある。

関東大震災で発揮された「熱と誠」の精神

  1920年、東京府荏原郡品川町(現・品川区)に最新鋭の工作機械を備えた大崎工場を創設し、「株式会社荏原製作所」を設立した。そして翌年には、ターボブロア(送風機)の製作も開始する。大戦も終息して景気が冷え込み、舶来品崇拝が復活しつつあったが、畠山は陣頭に立って、灌漑、水道、化学、鉱山向けの注文を獲得していった。特に、灌漑用を独占していた英・アレン社に勝ったことが大きい。
  一方、水道用は独・ズルツァー社の牙城だった。この闘いで、畠山の「熱と誠」の精神の真骨頂が発揮される。 実は関東大震災の2年前にも、かなりの大地震があった。東京市の水道は、多摩川から玉川上水で新宿・淀橋浄水場に導水していたが、水路が数カ所決壊したため3日間も断水した。この時畠山は一本の用水に依存する状況に危機感を抱き、市長に予備設備の必要を進言した。しかし、役人は予算不足をたてに動こうとしない。業を煮やした畠山は、自費で予備設備を据え付けた。緊急時には旧神田上水から6台のポンプで揚水しようというのである。
  果たして、1923年9月1日、関東大震災で首都は壊滅し、玉川上水も寸断された。そこで予備ポンプを動かしたところ、翌日には水道が復旧したのである。
「大地震と大火事のあとには、悪疫がつきものとされている。にもかかわらず、悪疫の発生を未然にくいとめることに成功したのだから、私はもちろん、関係者は大喜びだった」(自著「熱と誠」より)
  それでも、東京市は1926年のターボポンプの交換でもズルツァーを採用するという。それでも畠山は粘り強く交渉し、ズルツァーと荏原、日立、三菱の国産勢で公開性能競争を行うところまでこぎつけた。結果は国産勢の圧勝だった。さらに名古屋市でも荏原の送水ポンプがズルツァーを追い落とし、遂に決着がついたのだった。

可変翼軸流ポンプで「ポンプのエバラ」を確立

  荏原の外国技術への挑戦は続いた。1927年には軸流ポンプと、低揚程・大容量のスクリューポンプを製品化。そして、1928年の可変翼軸流ポンプが「ポンプのエバラ」を決定づけた。軸流ポンプは小型・大容量が特色だが、起動時に大パワーが必要で、水量が少ないとキャビテーションという乱流が起きて効率が低下する。世界の学会がこの問題を論議していたが、荏原は可変翼を実用化して一気に解決してしまう。
  1928年には羽田工場を創設し、1930年に国産初のターボ冷凍機を製作する。翌年、国産初の急速ろ過装置を開発し、水処理に事業は広がっていく。さらに工場やビル向けの圧力式浄水設備も開発、三越本店の冷房用冷却水のろ過装置が第一号製品となった。その後は、戦時体制のもと軍艦用浄水設備などの生産を始め、川崎工場のほか富山、桐生、吉田(長野)に疎開工場を創設した。そして、羽田工場が空襲を被ったところで戦後を迎える。

培ってきたポテンシャルを生かし環境総合エンジニアリング企業へ

  焦土からの復活は早かった。終戦5日目にはポンプ生産を再開する。
「風水力機械は、元来、平和産業に大きな使命を持っている。産業の復興は急務であった。炭鉱の復旧、電力の増強、食料の増産、水道の増設など」のために、軍需用資材を転用して農業ポンプ中心に事業を立て直していった。さらに電気製塩装置や製糖装置、空気コンベヤーなどの産業プラントも製品化していく。
  しかし、戦争による技術の停滞は大きく、ポンプ技術で外国は「20年分を突き進んでいた」(「熱と誠」)。この空白を埋めるべく、再び技術の挑戦が始まった。もう国産化を金科玉条とする時代ではない。1956年に米国インフィルコ社と合弁で「荏原インフィルコ」を設立し、本格的に水処理事業に参入。輸出でも、1961年にスエズ運河への5,000馬力浚渫ポンプの納入をはじめ、徐々に世界に伍す実力を蓄えていった。
  そして、環境総合エンジニアリング企業への道を開いたのは、高度成長時代に生じた公害問題への対応からである。70年代になって従来法にない、乾式でシンプルな電子線ビーム排ガス処理装置を開発し始めた。副生品(硫安、硝安)が農業用肥料として有効利用できる。これが「ゼロエミッション」の原点といえよう。
  88年に就任した藤村宏幸社長(現会長)は、「日本は『環境技術立国』をめざすべきで、荏原も『環境総合エンジニアリング企業』として一端を担っていきたい」と語った。創業以来培ってきたポテンシャルを生かし、循環共生型のゼロエミッション社会への貢献を社是として「持続する成長」をめざす高らかな宣言であった。
  藤村社長のもと、中期経営計画「ACT」が策定され、環境保全の「エンジニアリング事業」に注力する一方で、成長分野の半導体製造分野に焦点を絞って「精密・電子事業」が強化された。とりわけ、ゴミ焼却炉をはじめ環境技術で最先端をいく荏原は、98年にゼロエミッションの中核技術である「流動床ガス化溶融技術」を欧州の重電プラント大手・アセア・ブラウン・ボベリ社に技術供与する契約を結んだ。わが国の燃焼技術の多くが欧米からの導入であるなかで、稀有な出来事であった。




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