CONTENTS on line vol.92 2011 ★ NEW YEAR  

先駆者たちの大地
 総合化学メーカーが育む夢
住友化学株式会社[4005] 企業の沿革 住友化学

国内生産基盤の強化

昭和30年代には、日本が高度経済成長期に入り、石油化学も「黄金期」を迎え、各化学メーカーが次々と石油化学工場建設に着手した。そのなかで1958年、住友化学では、創業の地である愛媛県新居浜市に年産エチレン1万2,000t、ポリエチレン1万1,000tの石油化学コンビナート工場、新居浜大江工場が誕生した。ここで生産されるポリエチレンの品質は、技術供与を受けた米ICI社の製品に比べほとんど遜色がなかったため、需要は日を追って急増した。特に、軽量で水蒸気を通しにくいという性質が評価され、食料品の保存袋として重宝されたほか、化粧品や医薬品のビン、コップ、バケツなどから、さらには稲や野菜の促成栽培用の「農ポリ」(農業用ポリエチレン)としても利用されるようになった。

1965年、石油化学事業では愛媛県に続く2カ所目の拠点として千葉県の臨海地区に進出し、「住友千葉化学工業(株)」を設立した。同社はその後、1975年の合併により現在の千葉工場となり、各種合成樹脂、合成ゴム、工業薬品などの多種多様な石油化学製品を生産。1983年には石油化学事業再構築のため、愛媛地区の小規模プラントを休止して千葉工場へ集約化を行うことになる。

石油危機を乗り越え、海外進出へ

1965年、石油化学事業の2拠点目となる住友千葉化学工業を設立。後に、現在の千葉工場となる
1965年、石油化学事業の2拠点目となる住友千葉化学工業を設立。後に、現在の千葉工場となる

ここまでを国内で活躍した時代とすると、1970年代以降は海外に飛躍する時代となる。

「世界市場で活躍する『世界の住友化学』になる」。そうした機運が、社内に高まりつつあった。1971年、シンガポール政府は住友化学に対して、同国での石化工場の建設計画への協力を要請。海外進出の絶好のチャンスがめぐってきた。住友化学は、エチレンおよび各種誘導品製造プラントからなる大規模な石油化学コンビナート計画を立案し、共同事業化調査に着手、1975年には合弁計画の基本契約が調印された。

シンガポール石化プロジェクトの骨格ができつつある時、想定外の事態が全世界を揺るがした。1973年の第四次中東戦争をきっかけとして起こった石油危機、それに伴う原油価格の高騰、石化製品市場の冷え込みである。いかにすれば、このプロジェクトを成功へと導くことができるか。海外展開の今後を占う難しい判断を迫られた長谷川周重社長(当時)は、ナショナルプロジェクトへの転換を決意し、日本政府と石化企業に出資・協力を求める。

難産の末に誕生したシンガポール石油化学コンビナート
難産の末に誕生したシンガポール石油化学コンビナート

1977年5月、経営トップの精力的な働きにより、シンガポール石化のナショナルプロジェクト化が福田赳夫内閣で閣議了解され、オールニッポン(政府基金および民間23社の出資)による日本シンガポール石油化学(株)=「JSPC」が誕生。同年8月にはシンガポール政府(後に持分をロイヤル・ダッチ・シェルに譲渡)との折半出資によるエチレンセンター会社「PCS」(ペトロケミカル・コーポレーション・オブ・シンガポール)が設立される。また1980年には「TPC」(ザ・ポリオレフィン・カンパニー)など4つの誘導品会社を設立した。1983年には、ASEAN初のエチレンセンターとして設備が完成、翌1984年から操業が始まった。一時は難航したシンガポール石化プロジェクトを成功させた経験は「海外に強い住友化学」を国内外に強烈に印象付けた。その成功は、同社が世界に通用する企業であることの証明となり、「ラービグ計画」の際にサウジ・アラムコ社が合弁相手に住友化学を選んだ要因にもなっている。
 

真の世界企業を目指して

「ラービグ計画」で建設された世界最大級の石油精製・石油化学統合コンプレックス
「ラービグ計画」で建設された世界最大級の石油精製・石油化学統合コンプレックス

住友化学を支えているのは石油化学部門だけではない。例えば、ファインケミカル分野の農業化学部門では、低毒性農薬の研究開発に総力をあげて取り組んだ結果、1959年には画期的な殺虫剤「スミチオン」の開発に成功する。スミチオンの使用・技術普及を、国内に加え海外でも積極的に推進した結果、スミチオンはアジア、欧州、北米、南米、アフリカなどの世界各国で使用されるようになり、同部門の世界進出の先駆けとなった。さらに1988年に転機が訪れる。円高、企業再編が進む農薬業界のなかで生き残るため、従来の輸出型から、開発・販売のための海外拠点の設立・強化へと、戦略の転換が図られたのである。まず米国カリフォルニア州にて、強力な販売網を有するシェブロン・ケミカル社と、折半出資の合弁会社ベーラント社(1991年に100%子会社化)を設立、世界最大の米国市場へ直接参入を果たす。これが起点となり、その後欧州や南米、オーストラリアなどに開発・販売拠点を築いたほか、生物農薬事業や家庭用殺虫剤関連事業の買収を行い、農業化学部門の国際化は一層加速していく。

このように住友化学は、グローバル企業への発展に向けた取り組みを着実に推し進めてきたが、現在においてもなおその動きは力強さを増している。2004年3月に策定された中期経営計画(2004〜06年度)は、住友化学グループが21世紀に目指す姿である、あらゆる面で強靭な「真のグローバルケミカルカンパニー」になるためのマイルストーンとして位置付けられた。そして、それに続く中期経営計画(2007〜09年度)では、「グローバルカンパニーのさらなる飛躍」をテーマに「ラービグ計画の完遂」や「グローバル経営の推進」などといった重点課題に取り組むなど、その意志が一貫してグローバル化へ向いていることがわかる。

創造的ハイブリッド・ケミストリーから誕生した有機ELディスプレイ(6.5インチ)
創造的ハイブリッド・ケミストリーから誕生した有機ELディスプレイ(6.5インチ)

また、石油化学、農業化学以外の部門に目を転じても、住友化学は世界市場を相手にその活躍の場を広げている。

情報電子化学部門では、液晶ディスプレイに不可欠な構成材料である偏光フィルムの事業会社を、日本のほか韓国、台湾、中国などに設立。国内外で最適な生産・販売体制を構築し、海外売上高比率が8割を超えるまで海外展開が進んでいる。医薬品部門では、住友化学グループの大日本住友製薬(株)が、米国医薬会社であるセプラコール社を買収・子会社化し、社名を「サノビオン」に変更、今後は米国内にとどまらず国際ブランドとして展開していく。さらに2010年2月に発表された中期経営計画(2010〜12年度)の前提として「グローバルカンパニーとしての経営基盤、事業規模のさらなる強化、拡大」を経営ビジョンのひとつに掲げ、これまでの中期経営計画でグローバルカンパニーとして取り組んできた事業成長のスピードを加速させている――。このような施策が奏功し、2010年度上期には、海外売上高比率が会社設立後初めて50%を超えた(2009年度は45%)。

世界市場を競争の場と定めた住友化学が、研究開発における基本戦略としているのが「創造的ハイブリッド・ケミストリー」である。それは精密高分子加工、機能性染料・顔料、結晶制御技術、焼成、高分子機能設計、バイオ、キラル化、触媒という8つのコア技術の深化、さらに社内外の異分野技術との融合によって、より付加価値の高い新製品・新技術の開発につなげることを意味している。例えば、農業化学部門の農薬・防疫薬は高分子機能設計とバイオから、また次世代ディスプレイ技術として注目されている高分子有機ELは精密高分子加工と高分子機能設計、触媒から誕生した。住友化学は、こうした取り組みを通じて国際社会が抱える問題を解決するために、さらには私たちのより豊かな生活、より健康的な生活に貢献するべく積極果敢な挑戦を続けているのだ。と同時に、住友化学が考える企業の社会的責任(CSR)――「経済性の追求」、安全・環境・健康・品質を確保する「レスポンシブル・ケア活動」、社会の一員としての「社会的活動」をバランス良く果たすことで、企業としての持続的な発展を目指している。

別子銅山での肥料製造から約100年、世界の大手化学メーカーと伍する企業にまで発展を遂げた住友化学。力強い成長を続けてきたその根底には、今なお「自利利他公私一如」という「住友の事業精神」が生きている。これからもその信念のもと、さらなる高みへと挑戦しつづける住友化学が育む夢は、きっと私たちの豊かな明日を支えてくれるにちがいない。

(IRマガジンvol.92 2011年新春号)

  • Page
  • 1
  • 2