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CONTENTS on line vol.77 2007 ★SPRING  

先駆者たちの大地

企業が起こす化学変化

旭化成株式会社[3407] 写真館 企業の沿革 旭化成の歴史

20世紀の化学工業は、アンモニア合成技術によって飛躍的な進化を遂げたといわれる。その用途は肥料にとどまらずさまざまな製品の原料となり、またひとつの製品をつくる時にできる副生物が別の製品の原料となり、各製品が関連しながら有機的に広がっていく。
旭化成の土台のひとつは、20世紀初頭の最先端技術アンモニアの化学合成であり、その端緒は野口のグローバルな先見性と大胆な行動力によって切り開かれた。

アンモニア合成とレーヨン事業

世界初のカザレ式アンモニア工場
日本窒素肥料延岡工場(1923年)

1921(大正10)年の初頭、「戦後のヨーロッパには何かある」と考えて、ヨーロッパに渡航した野口は、ローマに立ち寄り、新しいアンモニア合成法のうわさを耳にした。野口はアンモニア合成に関する論文を出すなど、この分野についての見識が深く、電気分解で得られる水素を利用する技術に成功を予感した。再び渡欧して特許契約を交わすと、宮崎県の延岡で工場建設にとりかかった。こうして1923(大正12)年、世界初のカザレ式アンモニア合成工場が完成。日本窒素肥料は窒素肥料業界での地位を不動のものにし、巨大企業へ向けて躍進し始める。


カザレ式アンモニア合成法の発明者
ルイジ・カザレ博士

また野口はもうひとつ、旭化成の土台となるものをヨーロッパから持ち帰っていた。レーヨンである。レーヨンとは、セルロースを苛性ソーダで溶解してビスコースと呼ばれる溶液をつくり、そこから再び繊維を抽出して製造する人造絹糸である。野口は先の渡欧の折、ベルリンのグランツシュトフ社でレーヨンの製造を見学し、帰国後、その導入を重役会に諮ったが、「水に濡れれば切れてしまうような人造絹糸」と評され、賛成は得られなかった。

野口は別会社でレーヨン事業を立ち上げることを決意する。グランツシュトフ社とレーヨン導入の契約を結ぶと、旭人造絹糸という琵琶湖畔にあった旧式のレーヨン製造工場を譲り受け、最新の設備を据え付け、1922(大正11)年5月、旭絹織(株)を設立し、レーヨンの企業化をスタートさせた。

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