CONTENTS on line vol.88 2010 ★ NEW YEAR  

トップの素顔

「私がやらねば誰がやる」と激流の化学業界に挑む

DIC株式会社[4631]
代表取締役 社長執行役員
杉江 和男DIC株式会社

DIC株式会社[4631]
代表取締役 社長執行役員
杉江 和男

Top Profile

1945年北海道生まれ。北海道らしい大規模農業を営む家庭で、大自然を相手にのびのびと育つ。64年3月全日制高校・北海道浦幌高等学校を第1期生として卒業。70年3月北海道大学大学院工学研究科修士課程を修了し、同年4月大日本インキ化学工業(株)(現・DIC)へ入社。89年8月石油化学企画開発部長、98年9月経営企画室長を経て、2001年6月取締役に就任。その後、常務取締役、専務取締役を歴任し、2006年6月代表取締役副社長、2009年4月代表取締役社長執行役員に就任。

創業2世紀目最初の経営計画達成が使命

印刷インキメーカーとして創業するも、100年を超える歴史を通じて、多様な分野へ進出。その結果としてDICは、世界中で有機顔料、合成樹脂、機能製品、電子情報材料など、実に広範な製品分野をカバーする総合化学メーカーへと成長した。しかし、未曾有の経済危機により、化学業界は依然厳しい事業環境にある。経営の舵を握る杉江和男新社長の手腕に期待が寄せられるのも、当然といえる。

創業100年を超え新たな一歩を踏み出した
新生DICの舵取りを担う

DIC(ディーアイシー)は、創業100周年を迎えた2008年の4月1日、一大転機を迎えた。創業当初より冠してきた「インキ」という単語を社名からはずし、1960年代から社名ロゴとして使用してきた英文字略称「DIC」を正式な社名として採用。事業構造と企業体質の変革を実現するとともに、グループ企業の連携を一段と強化し、グローバルに認知される企業を目指すことを内外にアピールしたのである。

同社は創業から、今日に至るまで、印刷インキ、有機顔料、合成樹脂、機能製品、電子情報材料など幅広く事業を展開してきた。また、いち早くグローバル化を推し進め、世界60カ国以上で200社を超える関係会社を有している(2009年3月末現在)。こうした現状を鑑みると、企業イメージを固定化する単語を社名からはずすことは、当然のなりゆきだったといってもいいだろう。

むろん、同社にとって印刷インキ、有機顔料などを製造するグラフィックアーツ事業は経営の根幹であり、インキメーカーとしては世界最大手という自負もあろう。また、印刷や広告にとどまらずファッション、インテリアなどのデザイン関係者にとって、色彩見本帳「DICカラーガイド」は色の指定や色合わせのバイブル。知らないものは皆無といっていいほどの知名度を有している。
それほどの事業を象徴する単語を、あえてはずすわけだから、この転機にかける意気込みたるや相当なもの。その証拠に同社は、社名の変更とともに企業理念「The DIC WAY」と、経営ビジョン「Color & Comfort by Chemistry――化学で彩りと快適を提案する」をより前面に打ち出し、連結売上高営業利益率10%の早期達成という将来目標を示した。

代表取締役副社長執行役員として、この大英断を下す一翼を担ってきた杉江和男現社長も、「目標に向けて、強いところは伸ばし、勝てないところは整理することも考えなければならない」と、2009年4月の社長就任時にその決意を語った。リーマンショック後の経済不況を乗り切る経営手腕に期待がかかるのは当然であり、その素顔と人となりにも注目が集まっている。

広大な十勝平野を駆け回り
のびのびと過ごした少年時代

「父は、何人かの人を雇って農業を営んでおり、小豆やビート、ジャガイモ、小麦などを作っていました」と、杉江社長はまず、両親について語り始めた。「北海道の十勝平野ですから、その規模はかなり大きく、機械を使わなければ畑作はままなりません。当然ながら父は機械にも強く、トラクターの修理なども自分でやっていました。また、農地を3分割し、年ごとに1カ所は休耕させ、土地を肥やすというような工夫にも長けており、農林水産大臣賞や林野庁長官賞などの表彰をいくつも受けていました」

両親共に山や畑に出ていたということもあってか、帰宅が遅くなることもしばしばあった。「母の帰りが遅くなるような日には、私がご飯を炊くなど、家事の手伝いもしていました。『三つ子の魂百まで』ではありませんが、今でも食事を作ることはいやじゃありません」と笑う。

実家のあった十勝平野は、いわずとしれた広大な原野が広がる場所。冬はスキーにスケート、夏は野球に魚釣りと、杉江社長の少年時代は外を駆け回る日々。しかも、小学校は4Kmも離れた場所にあり、その道のりを毎日自転車で通った。現在の杉江社長は、スマートそのもので、その姿から北海道の原野で育った荒々しさは一切感じられない。しかし、少年時代に蓄えられた体力こそが、経営トップという重責を担う原動力になっていることは想像に難くない。

「高校は、町に初めてできた全日制高校。第1期生だったために、さしたる受験勉強をしなくても入学できた。ですから、意識して勉強をしたのは、大学受験が初めて」というから、元来おおらかな性格なのだろう。しかし、進学すると決めたらラジオから流れる大学受験講座にかじりつき、必死に勉強。きまじめで一途な性格を内包していることも十分うかがえる。
父の薦めと、化学の成績が良かったということで、化学の分野に進むことに決めた。「それが一生の仕事になったわけですから、人生わからないものですね」と微笑んだ。

30年間で9回の異動
多様な経験と人との出会いが優れた折衝能力を育む

大日本インキ化学工業(当時)への入社は、北海道大学大学院の担当教授の推薦で決めた。化学会社を選んだのは、「大発明をして工場を建て、利益を出したい」という、ストレートな動機から。面接でも「石油化学をやりたい」と率直に志望を述べた。「願いが叶って入社以来、石油化学事業部に長らく所属しましたが、職種は研究職一筋というわけではなかった。役員になるまでの約30年間で、9回もの異動を経験し、しかも技術系以外にも企画やマーケティング、海外駐在では営業もこなしました」と、入社からの経歴を振り返る。

杉江社長が研究職とは違う職場へと期待されたのは、優れたコミュニケーション能力によるものだった。入社して技術部の次に配属された製造部では、現場従業員とも積極的に交流を図った。「生産においてはプロ気質の人ばかりがいる職場。自分から進んで皆に話しかけ、仲間の輪に入っていくように努めました」という。

プラントの補修作業を買って出たり、合成樹脂のタンク内に付着した樹脂を削り取るという作業にも進んで取り組んだりしたというから、行動力も並ではなかった。その一方で、専門課程を修了した社員として、そこで作られているものが、最終的にどういう製品になるのかといったことを、現場の人たちにも懇切丁寧に説明した。

「その結果、歩留まりが良くなるという実質的な成果が得られたのですが、私にとっては、コミュニケーションや人付き合いについて学べた、という手応えが大きかった。まさに、今の私を作ってくれた時代、場所です」と、杉江社長はその貴重な経験を語る。

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