CONTENTS on line vol.86 2009 ★ SUMMER  

トップの素顔

変革を担う。目指すは、「食」のイノベーター

わらべや日洋株式会社[2918]
代表取締役社長
妹川 英俊わらべや日洋

わらべや日洋株式会社
代表取締役社長
妹川 英俊

Top Profile

1948年11月、福岡県朝倉市生まれ。小学生の頃から競泳に熱中し、高校時代には九州地区で1、2を争う選手として鳴らす。高校卒業後、大手食品会社勤務を経て、72年に日洋産業株式会社(現・わらべや日洋)に入社。入社後は、開発部門の立ち上げに携わり、以来一貫して商品開発部門の中核を担う。89年取締役商品本部長、96年常務取締役、99年株式会社日洋代表取締役社長就任。2003年専務取締役、2007年代表取締役副社長を経て、2009年5月代表取締役社長就任。

“フレボグループ”の船出は新社長が担う

日本の食文化の新しい側面を切り開き、(株)セブン-イレブン・ジャパンのパートナーとして、コンビニという業態の成長を支えてきたわらべや日洋。同社はまさに「食」のイノベーターであり、食品業界において、今最も注目を集めている企業のひとつである。それが2009年を迎え、グループ名称を改め、さらに新たな分野を切り開こうというのだ。新社長・妹川英俊氏には、いやが上にも注目が集まっている。

グループ名称を新たにし
フレッシュな経営陣で変革に挑む

コンビニエンスストアの成長を支えているのが、お弁当、おむすび、すし、サンドイッチといった、いわゆる「ファストフード」であることはよく知られている。

実際、主要なコンビニ・チェーンにおいては、全売り上げの20〜30%を占めているといわれ、コンビニがリニューアルしたり、季節のキャンペーンなどを行ったりする際、そのイメージづくりを担う。今やファストフードは、コンビニ・チェーンにとって差別化の源泉であるとともに、集客の原動力として、付加価値を生む商材となっている。

このファストフードを中心とした食品事業で、快進撃を続けるのがわらべや日洋である。現在は、(株)セブン-イレブン・ジャパンを主要顧客に、お弁当、おむすび、すしなどの「米飯」、サンドイッチなどの「調理パン」、パスタやご飯のおかずなどの「惣菜」を製造・販売。23の国内専用工場で、毎日350種類以上の商品を、最大300万食も製造している。

2009年3月からは、グループ名称を「Frevo Group(フレボグループ)」と改め、「社会環境の変化とお客様のニーズに的確に対応し、『食』を進化させるための挑戦と革新を続けていくというグループの決意を表した」(2009年2月25日付のニュースリリースより)。

これと同時に、経営陣や組織の変更を行い、新たな時代に向けた船出を内外に印象づけた。そして今回、会長職に就任した陶新二氏からバトンを受け、新たに社長に就任したのが、妹川英俊氏である。

豊かな自然と優しい両親のもと
水泳に打ち込んだ少年時代

社長就任に際して妹川社長は、「これほどの規模に成長した当社グループを率いるべき人材は、もっとほかにいるのでは、という気持ちもありましたが」と、謙遜する。しかしその一方で、「今こそ、陶会長が作ってこられたグループとしての基盤を継承し、なおかつ新しいグループ像を描いていかなければならない時を迎えています。そんな時代のトップにはやはり、ずっと会長と一緒に基盤づくりに携わってきて、そこに込められた変革の意志を受け継いでいる者が担うべき」と、自らの決断の背景を熱く語る。

そこには、まさに“九州男児”の趣が漂っている。
妹川社長は、福岡県のほぼ中央に位置する朝倉郡朝倉町(現・朝倉市)で生まれ育った。隣接する旧甘木市には、黒田藩の城下町として栄え、「筑前の小京都」と称せられた秋月地区があるものの、旧朝倉町近隣はほぼ山間部といってもいい。最初の「食」の思い出が、「叔母が育てたサトウキビから作られた砂糖」というように、その生い立ちにも農業を生業とする人々の豊かな暮らしぶりがうかがえる。

「ただ、うちの父は役場勤めの公務員でしたから、専業農家とは少し違っていたかもしれませんね。父は、賭け事だけは絶対にしないというような厳格なところはありましたが、比較的自由に育ててくれました」と、妹川社長は少年時代のことを振り返る。怒られた記憶というのも、「学校をさぼった時くらい」というから、鷹揚で包容力に富んだ父だったようだ。

自身の生活といえば、水泳一筋。夏はもちろん、冬であっても毎日1万mの練習を欠かさなかったというから、並大抵ではない。当然ながら実力もそれに伴っており、高校時代には九州地区で1、2を争う平泳ぎの名手だった。その時のライバルはその後、オリンピックにも出場したという。

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