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CONTENTS on line vol.82 2008 ★ Summer  

トップの素顔

生来の洞察力と公明正大な経営で世界に挑む

アステラス製薬株式会社 代表取締役社長 CEO 野木森 雅郁アステラス製薬株式会社

アステラス製薬株式会社 代表取締役社長 CEO 野木森 雅郁

Top Profile

1947年12月、愛知県生まれ。東海中学・高校を経て、70年東京大学薬学部を卒業。藤沢薬品工業(株)入社。研究開発畑を歩み、新薬候補の初期評価や外国企業とのライセンス交渉など、地道で根気のいる役割を担う。95年医薬事業部統括企画部長、97年取締役、98年フジサワ ゲーエムベーハー社長に就任。2000年執行役員制度に伴い執行役員に。2004年専務執行役員に昇格。2005年アステラス製薬発足、同社の副社長に就任。2006年6月より現職。

第2ステージを担い、ビジョン実現に突き進む

2005年、製薬業界3位の山之内製薬(株)と5位の藤沢薬品工業(株)が合併して誕生したアステラス製薬。
グローバル競争が進む製薬業界の再編に先鞭をつけ、華々しいスタートを切ってから、はや3年が経った。
すでにその視線は、合併10年後の2015年の姿「グローバル・カテゴリー・リーダー」に向いている。自らが得意とするいくつかの疾患や領域(=カテゴリー)で、確実に世界をリードする製薬企業を目指して舵取りをする野木森雅郁社長に迫った。

合併から1年
第2ステージを担うトップに必要不可欠な条件

その就任は、世間を驚かせた。合併から1年での社長交代だったからだ。バトンを渡された本人も、「いくら何でも交代には早すぎるのではと思った」と語る。

しかし、もちろんそれにはきちんとした理由がある。合併により誕生した新生・アステラス製薬は、1年で経営基盤を安定させ、次のステージである「海外事業の強化」を図ることになった。国際的な新薬メーカーを目指し、経営資源を医療用医薬品に集約する戦略を推進。今後は、研究開発の強化と海外での売り上げ拡大を経営課題としていた。それには欧米での事業を強化できる、海外に強い人材を経営トップに据える必要があった。

新社長に指名された野木森雅郁氏は、海外製薬会社との交渉が多い製品ライセンスの導出入などを担当。欧州拠点の社長を歴任するなど、海外事情に精通していた。そう考えていくと、このタイミングでの社長交代は、決して早すぎるものではなかったことがうかがえる。
さらに、バトンを渡した前社長の竹中登一・現会長は、「新社長は公明正大な態度がとれることが一番大切」と明言。時折笑顔を交えながら、どんな質問に対しても正確かつ誠実に答えようとする野木森社長の姿勢からは、裏表のなさや誰に対しても同じ距離感で付き合う“公明正大”さがよく伝わってくる。そうした雰囲気は、野木森社長の生い立ちと、多少なりとも関係しているといえそうだ。

商売人の家庭で育ち、いずれ自分も商売を……
やるなら「薬局だ」と思った

濃尾平野のど真ん中。木曽川の南に位置し、今では江南市という名称に変わった旧丹羽郡古知野町で、野木森社長は4人兄弟の末っ子として生まれた。父は染め物と呉服の店を営む職人兼商売人だった。野木森社長も幼い頃は、染め物や行商といった店の仕事を当たり前のように手伝っていた。
「行商に行った先では、特別なことをするわけではありません。自転車のサドルに座って延々と待たされましたね」と笑うが、常に生活の一部として商売を身近に感じていたのだろう。

小学2年生からは、商売人の基本である“読み・書き・そろばん”を習い事としたことで、その素養も十分醸成された。
それだけに、「自分で商売をするということは、幼い頃から当たり前のようにありました」と野木森社長は言う。
「ただ、家業を継ぐのは長男と決まっていましたので、私は呉服とは別の何かを探さなければ、と思っていました」

そんな時に出会ったのが、薬局という商売だった。幼少時代はあまり身体が丈夫ではなかったという野木森社長。夜中に熱を出した際に救ってくれたのが、ペニシリンの筋肉注射だった。薬の効用は身にしみてわかっていた。さらに、多忙だった両親に代わって、兄弟の世話をしてくれていた祖母と一緒に、薬局に行くと帰り際に、紙風船などのお土産を必ず持たせてくれた。幼少時代の野木森社長には、それも魅力に映った。
加えて、伊勢湾台風の影響で転居を余儀なくされた野木森家の引っ越し先が、薬局の隣だった。

「子供の目から見ても、店の繁盛ぶりはわかりました。それが、決定打。商売をやるなら薬局しかない! と思ったわけです」
野木森社長は、現在へと続く最初の一里塚について、語っている。

大学では社会勉強に勤しむ
仲間の就職活動に刺激された進路選択

東京大学の薬学部へ進んだのも、薬局を開くべく、薬剤師の資格をとるためだった。専攻は薬品作用学、つまり薬理を選んだ。薬学部に進んだにもかかわらず、化学・物理が苦手で、どちらかというと文科系に近い、薬の効果を検証するこの学問が気に入ったのだった。

しかし、時代は学生運動真っ盛り。とはいえ、「大学に入ったら社会勉強しろ」という父の言葉もあり、野木森社長は
「実にいろんなことをやりましたね。演劇鑑賞、ダンス、そして子供の頃から続けていた書道……。でも、講義にもちゃんと出席していましたよ」といたずらっぽく振り返る。

こうして青春を謳歌した野木森社長だが、大学3年生の頃に東大紛争のストライキで休講が半年間続いたこともあり、4年生に進級しても社会に出ていくという気持ちになかなか切り替わらなかったという。そんな時、しだいに就職活動を始める仲間たちの姿を見て、ある思いを抱く。それまで当たり前だと思っていた「商売」という将来だけではなく「就職」という選択肢もあるのではないか、と。その気持ちを父に素直に相談したところ、返ってきた返事は「一度くらい就職してみてもいいのでは」というものだった。

「それからですね。にわかに就職について意識するようになったのは。ですから、こんなこと言うと怒られるけれど、実は就職先にこだわりはなかった(笑)」と、小声でささやく。そして、藤沢薬品工業に入社するも「3年ほど勤めたら退職して、薬局を始めるつもりでした」と言う。

入社後は、医学調査部調査班に配属され、医薬品の有効性を調査する仕事を担当。その後20年間は、部署の名前こそ変わったものの、仕事内容はほぼ一貫していた。導入品の交渉、文献調査、医学雑誌の記事や学会情報をまとめて社内に伝達する、等々。研究開発を下支えする仕事を続けた。

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