初めて責任者になった途端、日本経済最大の危機。
人生最大の難関に鍛えられる
一見、順風満帆に見えた日々だったが、目の前に突如、大きな壁が立ちふさがった。オイルショックである。
73年10月、第四次中東戦争が勃発し、石油輸出国機構(OPEC)の産油国が、原油公示価格の2割以上の引き上げと、原油生産の削減を決定。さらに12月には、翌年1月より原油価格を2倍に引き上げると発表。結果、国内の消費者物価指数も急上昇し、インフレ抑制のために公定歩合が引き上げられ、ほとんどの企業が業績を悪化させた。
「燃料の油が回ってこないばかりか、注文が激減。在庫がたまって、生産を止めざるを得ませんでした」と、当時を振り返り、杉野社長は苦渋をにじませる。
「やることのない社員に工場の草むしりや掃除をさせて、数カ月続いたこの未曾有の混乱をどうにか乗り越えたのです」
しかし、草むしりばかりしていたわけではない。こういう時こそ品質管理に注力すべきと、QCサークル活動を推進し、大きな成果を上げたのである。
「チームワークの強化、仲間意識の向上、そして困難を乗り越えようとする強固な意志。そんな力が組織に備わっていきました」
苦労は決して無駄にならなかった。それを先導できたことが、杉野社長にとっては非常に大きな財産となった。
タイルメーカーから洗練された住設メーカーへ
転換期こそが自分の出番
さらに大きな財産を手にしたのは、85年、社名をINAXへと変更し、東京・銀座に本部を置いた時だ。
東京本部の立ち上げメンバーとして、杉野社長は生まれて初めて東京暮らしを始める。
「地方のタイルや衛生陶器のメーカーというイメージを、大きく変えるのにわずかでも貢献できたのではないか」と言う。しかし、その謙虚な言葉の裏に、慣れない土地で慣れない仕事をやり遂げた自信が、しっかりと根付いていることも、十分うかがえた。
ただ、できる者のところに仕事が集中するのが、企業の常。東京本部で部長職をこなしながら、中小タイル専門メーカーが林立する岐阜県の多治見地区に、十数社の協力会社を統括する事務所を一から立ち上げるという大役を担う。
岐阜と東京を行ったり来たりの日々。「多治見は、自宅のあった愛知県半田とはさして離れてはいなかったのですが、ほとんど帰れませんでした」と、当時を振り返る。この単身赴任生活は、住生活グループが発足し、INAXの社長に就任した2001年10月まで12年あまり続くことになった。
技術に携わることに始まり、商品企画、事業本部、経営管理……とさまざまな立場を経験し、それぞれの職場で難題を一つひとつクリアしてきた。生来の生真面目さと、そのうえに培われた豊富な経験。統合を果たし、新たなステージを目指す住生活グループの社長として、改めてその実力が発揮されようとしている。住生活グループと、杉野社長の今後の動きに、大いに注目していきたい。
(IRマガジンvol.81 2008年春号)
何十年と続けてきた書道で、
集中力と安らぎを得る

営業所で即興で書き上げた書。前向きな言葉が並ぶ
ゴルフや合唱、そして書道と趣味も多彩。なかでも書道は幼少時から続けており、「丹念に墨をすり、半紙に筆をおろす。その一瞬に神経が集中する。しょっちゅうやるわけではありませんが、たまにやるだけで気持ちが安らぎます」とその時間を今でも大切にする。INAX社長就任当初に、現場との意見交換のため、各地の工場や営業所を訪れたそうだが、その際に筆が用意されていることもしばしば。したためた書を今でも、応接室に飾っている営業所もあるそうだ。






