
1944年11月、愛知県生まれ。67年名古屋工業大学窯業工学科を卒業後、伊奈製陶(株)入社。入社後10年間は技術者として、タイルの商品開発や品質管理などに携わる。厳しいオイルショックを佐賀工場長として乗り越え、78年から本社勤務。85年INAXへの社名変更とともに東京本部へ。その後、2001年10月、住生活グループ発足と同時にINAX代表取締役社長就任。2007年6月、(株)住生活グループ代表取締役社長、(株)INAX代表取締役会長に就任する。


若返りの象徴として、統合第2ステージに挑む
住宅設備関連の大手2社の統合により、2001年に誕生した住生活グループ。ホールディングカンパニーの下に、トステムやINAXをはじめ、ホームセンターを展開するトステムビバやエクステリア製品を扱う東洋エクステリア、防災機器のニッタンなど住まいに関連するさまざまな事業会社を配す持株会社体制で、着実な歩みを進めてきた。統合から6年が経った2007年には、経営陣を一新。統合のシナジーをさらに有効活用する姿勢を会長の潮田洋一郎氏(CEO)とともに打ち出した。その象徴であり、切り札といえる人物が杉野正博社長だ。
多彩な経験と荒波を乗り越えてきた底力で
トップの座をつかむ
住生活グループと聞けば、衣食住のうち「住まい」に関わる会社であることは、何となくイメージできる。しかし、それがアルミサッシなどを手がける建材メーカーの「トステム」と、バスルームやトイレなどの住宅設備機器で知られる「INAX」という、大手事業会社を抱える持株会社であることを知っている方は、あまり多くないだろう。
住生活グループの発足は今から7年前の2001年にさかのぼる。この間、あえて住生活グループが黒子に徹してきたのには、ワケがある。市場に深く浸透し、多くの消費者に親しみを持って受け入れられているトステムとINAX、それぞれのブランドを大切にしたいから。そして、統合による社風や文化の葛藤を回避し、じっくりと共通の風土を築き上げようとしてきたからだ。
日本の企業社会においてM&Aが活発に行われだしてから、決して十分な時間が経ったとはいえない。いろいろな形の経営統合が試されているなか、住生活グループが選んだ道も、そのひとつのスタイルとして非常に意義ある選択だった。
そして、7年を経た今、次のステップへと踏み出す準備が整った。2007年2月に発表された経営陣の大幅な変更は、そのことを世に知らしめるのに十分な内容だったといえよう。
グループの設立メンバーだった取締役陣が揃って退任し、経営体制の若返りとスリム化を実現。なかでもINAX社長だった杉野正博氏が同社の会長就任とともに、住生活グループ社長の座に就いたというニュースは、今後の成長への大きな期待を持って迎えられたのだった。
「私が社長に選ばれた理由を一言でいえば、いろいろやらせてもらった経験からでしょう。モノづくりの現場からスタートして、営業について回っていたこともあるし、事業全体のマネジメントや管理部門のトップも経験してきましたから」
と、杉野社長はさらりと言う。
しかし、その間には数々の荒波をくぐり抜けてきたことも確か。それを乗り越えてきた手腕こそが、次のステップへ踏み出す住生活グループには必要だと、抜擢に至ったことは想像に難くない。
生真面目すぎてつまらない?
だからこそ運動と勉強の両立ができた
統合の第2ステージを任されたと聞くと、さぞかし大胆で豪腕な人物なのではないかと想像する。しかしその実、風貌や身のこなしは、いかにも技術者出身の経営者らしく、そつがない印象だ。幼少時のことを尋ねると、「生真面目でおもしろみがない子供と思われていたんじゃないかな」と当時を振り返る。
杉野社長は、愛知県知多郡東浦町石浜村の、祖父母そして父ともに教師という教育者の家で生まれ育った。自ら父に習ったことはなかったが、中学で同級になった友人が、小学生時代に父の教え子だったことはある。「その友人曰く、親父は怖かった。殴られたこともあったという。私自身はそれほど怖いとは思いませんでしたけど、やはり厳格だったことは確かですね」と、杉野社長は父について語る。
自身は2人兄弟の長男だったが、「教師になれ」と言われたことは一度もなかった。自らもその気はなかった。当時の田舎の子供がみなそうだったように、野山を駆け回って木登りをしたり、栗拾いをしたり、川をせき止めて魚を獲ったりという毎日。のびのびとした幼少時代を過ごしていた杉野社長に、特に就きたい職業があったわけではなかったが、ただ漠然と教師だけは嫌だと思っていた。
運動が得意だったという杉野社長は、なかでも短距離走に秀でており、小学生時代は東浦町五カ村対抗体育大会で、毎年リレーの選手に選ばれ、優勝に貢献していた。しかしただ一度、自らのバトンミスで、最下位になったことがあり、今でも「悔しい思い出」として心に残っている。「負けず嫌いなんです」
高校はサッカーで全国大会常連の愛知県立刈谷高校。「サッカー部の厳しさは当時から有名で、とてもじゃないけど無理。結局、中学から続けていた卓球部と書道部にしました」と笑顔を浮かべる。
ただし、5kmの道のりを1日も休まず、自転車で通ったというから、身体の鍛え方は並大抵ではなかった。同時に、大学進学に向けて勉強にも熱心だったから、文武両道を地でいく高校生活だったのである。
ほんの少しの興味が行く末を決めた
決めたからには脇目も振らず……
将来の進路は、高校の2年間が過ぎても決まらなかった。3年生になってからも、
「そもそも文系科目が苦手だったので、理系に行くしかない。また当時は、これからの社会にはエンジニアが求められるという風潮だったので、まぁ行くなら工学系かなという程度の選択でした」
ただ、親戚に森村グループに関わりのある人がいたこともあり、焼き物には以前から興味があった。それで、窯業に強い名古屋工業大学へと進学する。森村グループとは、INAXもかつて所属していた世界最大のセラミックス企業グループである。
希望通りに窯業工学科に進んだ杉野社長は、溶鉱炉やトンネル窯の研究室に入り、卒論には「焼成炉の耐火物性能の研究」を選んだ。この時点で、就職も決まったようなもの。大学時代の先輩も多く就職していたことや、父の友人で伊奈製陶(現・INAX)特約店の社長をしていた方の勧めもあり、伊奈製陶へと進むこととなった。
「そんな感じの就職でしたから、会社のことを詳しく知っているわけではなく、入社してから少しずつ理解していきました。わかってくると生活に密着した実に身近な会社だった。だからなのか社風も温かで、若手であっても何でも自由にやらせてくれました」
この言葉通り、杉野社長は入社間もなく建築用タイルの工場で、釉薬の開発から品質管理まで、さまざまな業務を経験。5年目には佐賀県にあるタイル工場へ技術責任者として赴任し、その2年後には工場長に就任した。






