
入社のきっかけは 立石一真の 「適者生存の法則」
2006年度の連結業績は5期連続の増収増益と、絶好調の様相を呈しているオムロン。この好業績を牽引しているのが、2003年の就任当時、創業家以外から初の社長として話題を呼んだ、作田久男氏である。しかし創業家以外からの抜擢とはいえ、入社のきっかけが、創業者・立石一真の「適者生存の法則」という言葉だったというだけあって、創業の精神にはただならぬこだわりを持っている。
その人物像については、自己判断と自己主張を重んじ、やりたいことを伸び伸びとやる、自由で柔軟な人柄のように感じられる。これもまた、オムロンという企業に根づいていた社風によって培われたものなのか。はたまた生来のものなのか。その生い立ちや経歴には、大いに興味を引かれる。
「両親は金沢出身でしたが、父の仕事の関係で私が生まれたのは、名古屋市。今の松坂屋がある裏でした」
生家は、1945年3月の大空襲ですべて焼失したため、作田家は生後1歳の久男氏を連れて、三重県の桑名へと疎開。終戦後は、愛知県中島郡稲沢町(現・稲沢市)へ移り住んだ。
「稲沢市は、今でこそ名古屋のベッドタウンとして栄えていますが、当時は田舎そのもの。ウチの周りには自然があふれており、私もそのなかを駆け回るような平々凡々とした子供でした」

「目の見えない人の前に 石を置くようなことを してはならない」
工学部出身ということから、子供の頃から手先が器用で、モノづくりが好きだったのかと思いきや、
「どちらかというと不器用なほうだった」
「数学が好きであったことと、工学部なら就職も確実だといわれていたから選んだだけ。当時はおしなべて貧しかったですから、エンジニアになれば就職に不自由はないだろうということが非常に重要なファクターだったんです」
現実的な判断を重んじる点からは、冷静でクールな一面を有しているようにも感じるが、幼少時に父から受けた教えで印象に残っている言葉は?と尋ねれば、根本には熱い想いをしっかりと備えていることがわかる。 その言葉とは「目の見えない人の前に石を置くようなことをしてはならない」というもの。
「子供の頃は、一体何を言いたいのかわかりませんでしたが、40歳を過ぎて、ようやくわかるようになりました。つまり、『本質的にやってはいけないこととは何か』をしっかり見極めろ、ということだったんです」
決して越えてはならない一線はどこかを明確に認識すること。そうすれば、自由奔放にやっていい範囲も明確になり、存分に力を発揮できるようになる。幼少時に教え込まれたこうした考え方のもと、作田社長はその後の人生を送ることとなった。







