
最年少取締役から一気にトップへと駆け上がる。
世界はこの大胆さを歓迎した
携帯電話やポータブル音楽プレーヤーがより小さく、軽く、高性能になった背景には、小型化され、高集積化されたICやLSIといった半導体の存在がある。そこに貢献するのがフォトリソグラフィを使った微細加工技術だ。フォトリソグラフィは、写真の原理と似ており、光を利用してきわめて微細な加工を行うもの。東京応化工業(以下、TOK)は、この加工技術の工程で使われるフォトレジスト(感光性樹脂)や材料、製造装置を提供しているグローバル企業のひとつであり、その分野での世界シェアはトップレベルとなっている。
ここ数年、右肩上がりの業績をあげ、第2次中期計画「tokチャレンジ21」も予定通り達成したTOK。2006年3月期には上場20周年の記念配当を含め、1株当たり33円の年間配当を実施した。2006年9月には配当予想を年間36円へと増配修正している。
この好調なTOKのトップ、中村洋一社長は、2004年に最年少取締役から一気にトップへと駆け上がった。自らは「その若さをみんなが心配して、もり立ててくれたおかげ」と謙遜する。その姿勢は、技術者でありながら、早くからマネジメントの立場を経験してきた経歴と、少なからず関係している。
中村社長にとって、TOKは学生時代からなじみの深い企業だった。TOKの供給する薬品が卒業研究に欠かせなかったからだ。
当時のTOKはフォトレジストや液晶関連の製品分野にいち早く進出し、その姿が非常に先進的なイメージに映り、中村社長に進路を決めさせた。しかし、「配属は今の相模事業所。当時はまだ一部トタン屋根の建屋があり、一瞬『こいつはシマッタ!』と思った」と笑う。
また、中村社長が入社した1974年は、第1次オイルショックの翌年。次の年からしばらく後輩の入社がなく、中村社長の現場経験は、結局3年間という長さに及んだ。大学の研究経験が活かせない状況が続くなら、辞めて資格でもとろうかと思っていた時に、「千葉大学へ出向く話が来て、人生が変わりました」
千葉大学にはフォトレジストの権威として著名な津田穣教授がいた。中村社長はその研究室に派遣され、若い研究者たちとともに、当時としては最先端の“Deep UV”用フォトレジストの開発に尽力した。
「さまざまな材料を組み合わせて、無から有を生み出す。開発に至るまでの試行錯誤が、私には有益でした。装置を自分で創って、実験も自分でするという繰り返しが、研究者としての自分に自信を与えてくれました」



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