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トップの素顔 2005年春号 Vol.69
 

TOTO株式会社

代表取締役社長 木瀬 照雄
代表取締役社長 木瀬 照雄 氏 木瀬 照雄(きせ・てるお)
1947年福岡県生まれ。鹿児島ラ・サール高校を経て、京都大学教育学部入学。70年同大を卒業し、東陶陶器(株)入社。入社から5年間は地元・北九州にて勤務。79年同期入社のなかで最も早く所長に就任。92年営業本部営業企画部長。96年取締役経営戦略室長。2000年取締役上席常務執行役員マーケティング本部長。2002年取締役専務執行役員販売推進グループ長。2003年同社においては戦後最年少で社長に就任。

営業畑で培った行動力で
さらなる改革を推し進める

前へ前へと突き動かすのは、生来の反骨精神
住宅着工件数に常に大きく左右されてきた住宅設備機器業界。
しかし“リモデル新宣言〜新しい生活スタイルの提案を約束します”を打ち出し、その構造を大きく転換したTOTO。
業界の慣習を打ち破り、リフォーム市場を進んで開拓することによって、業績の回復を図ってきた。
その戦略を先頭で推進してきたのが、同社では戦後最年少で社長に就任した木瀬照雄氏。
営業で培ってきたその手腕に、もう一段の改革とさらなる成長への期待が寄せられている。

4人抜きの昇格人事
戦後最年少かつ初の戦後生まれ

 伝統的な企業であっても、いや伝統的な企業だからこそ、革新的な体制を新たに構築すべき時代になっている。長く続いた景気の低迷に薄日がさしつつあるといわれてはいるが、まだまだ気を抜ける状況ではない。もう一段の改革が求められている。
  TOTOは、まさにこうした時代の流れを敏感に察知したのだろう。2003年に、同社では戦後最年少かつ、初の戦後生まれの社長を誕生させた。しかも、従来は副社長からの就任が基本だといわれていたところを、4人抜きの昇格。かつ、3代16年続いた技術系社長から一転、営業畑からの抜擢となった。
「技術系が3代続いて、今度は営業系というのは、たまたまでしょう。ただ、先代社長が必死になって取り組んだ改革は、私になっても引き継いでいくことは確かです。攻めの姿勢を広く印象づけるとともに、お客さまのほうを向いて仕事をする姿勢も忘れたくない」
  社長に就任して1年が過ぎても、木瀬社長の決意が揺らぐことはまったくない。
  若さを活かしてさらに改革に力を注ぐとともに、営業畑で培った顧客志向を、存分に発揮していく意気込みがひしひしと感じられる。
  木瀬社長は、部下として働いたことのある社員によると、「豪放磊落な兄貴分」と皆から慕われる存在。攻めの経営にはぴったりである。そんな性格は、その生い立ちからも十分うかがわれる。

後の小結大潮、現・式守親方を
見事な投げで打ち負かした中学時代

 「福岡県立戸畑工業高校の校長が小学校の同級生なんですが、先日会った時に、『ガキ大将のお前には、ずいぶんいじめられた』と言われました(笑)」
  もちろんいじめといっても、チャンバラや相撲をしかけるような、子供同士のじゃれあいだ。木瀬社長はそんな仲間たちの先頭に立ち、野山を駆け回っていたのだ。
  なかでも相撲には、熱中した。当時は、千代の山から栃錦に至る名横綱がずらりと並ぶ、大相撲華やかりし頃。クラスでは毎日が相撲大会といってもいいほどだった。そこでも木瀬社長は、結構な強さを発揮していた。それを表すユニークなエピソードがある。
「現在の式守親方(元小結大潮)、波多野兼二君といいますが、彼とは幼稚園と中学校の同級生。クラブも同じバスケットボール部でした。その彼を一度だけですが、私が相撲で投げ飛ばしたことがある。だから今でも、『社長は親方より強い』なんて、式守親方の女将さんにからかわれるんです(笑)」
  この言葉からもうかがわれるとおり、木瀬社長と式守親方とは、今でも仲の良い友人。地元後援会や企業と協力して、北九州市に「式秀部屋研修センター」を建てたというほど、親しい関係を保っている。
  また、少年時代から今も変わらず好きなスポーツのひとつである野球からも、木瀬社長の性格が垣間見えてくるから、おもしろい。
  木瀬社長の子供時代の福岡といえば、西鉄ライオンズのフランチャイズ。当然、周囲は皆、西鉄ファンだった。しかし、そんななか木瀬社長はただひとり、巨人ファンを貫いた。それには、「巨人軍の川上哲治さんの兄上が八幡製鐵所(現・新日本製鐵[5401])にいたのですが、私の父もそこに勤めていた関係で、川上選手のサイン入りバットを譲り受けたから」という理由があった。
  義理堅いと見る向きもあるかもしれない。しかし木瀬社長を見ていると、それ以上に周りと同じなのはイヤ、独自の価値観を貫きたいという姿勢が感じられてならないのだ。

大勢にやすやすとは従わない
東大優勢のなか、あえて京大へ

 相手がどんなに強くても、そうやすやすとは従わない。そんな反骨精神は、昔ながらの九州男児である父親という絶大な権力のもとで育ったことで培われたものかもしれない。
  父・木瀬秀哉は、八幡製鐵所に勤める工員だった。1950年代前半にアメリカで発行され、後に毎日新聞社からも翻訳版が出た『日本の五人の紳士』(フランク・ギブニイ著)という書籍に取り上げられている。典型的な職人気質で、いわば日本の「ものづくり」の代表として、海外で紹介されるような人物だった。
  ちなみに、この書籍に登場する5人とは、氏のほかに、昭和天皇、元海軍中将・清水文夫氏、けわしい山腹を耕す農夫・真田佐嘉次氏、東京の新聞記者・山崎忠夫氏の4人である。
  木瀬社長の父は鹿児島県出身であり、先祖は摩藩の武士。家庭では絶対的な権力者だった。怖い父親を煙たく思うのは、今も昔も変わらない。「オヤジと一緒に住んでいるのがホント嫌でね。何とかして離れたいという思いで、高校は県外に。寮生活を送りながら、ラ・サール高校に通うことにした」という。
  それを難なくクリアしてしまうくらい、当時から成績優秀だったということでもある。いうまでもなく同校は、日本でもトップクラスの進学校だ。
  父親の支配から抜け出せた木瀬社長は、大いに羽を伸ばす。九州を中心に全国から成績優秀な少年が集まる高校のなかでも、やんちゃぶりを発揮。特に大学進学に際しては、持ち前の反骨精神・反権力志向が頭をもたげた。
  ラ・サール高校のある鹿児島県は、明治維新の立役者でもあった摩藩の地ということもあり、意外に中央志向が強い土地柄だという。同校の教師たちも東京大学卒が多く、生徒もほとんどが東京大学を目指す。
「だから私は、わざと京都大学を志望したんです。当時ラ・サールにも、京大出身の先生が1人だけいて、私はその先生が好きだった。それも京大を目指した理由のひとつでしたね」

従来の営業手法にとらわれず
リフォーム市場を開拓していった

 大学時代は、写真部員としても活躍。入学前に、下宿先の先輩からその腕前を認められ、新入生ながら同じ1年生を勧誘していた。また、1960年代後半の大学生らしく、学生運動を身近に感じた世代でもある。
「70年安保を見たいと、留年する仲間も多くいましたが、私はちゃんと卒業しました。後輩の1年生が火炎瓶で亡くなったことがショックだったというのもあります。なので、就職にあまりこだわりはなかったというのが正直なところでしたね」
  ただ、全社員の顔が見える規模の会社。高校からずっと実家を離れていたため、そろそろ地元に戻って親孝行をしたいという希望を聞いてくれる会社。この2つの条件を満たしていたのが、TOTOだった。
  入社後はその持ち前の気質に加え、上司に恵まれたこともあり、めきめきと実力を発揮。営業に重要なのは販売現場であると、特約店の先にある小売店への訪問にも力を注ぎ、成果をあげていった。そして新設された千葉県・柏営業所で、所長に就任。同期入社では一番乗りだった。しかし、所長になっても新入社員たちとともに、管轄の小売店を徹底的に回った。
  特に水道工事店に対しては、リフォームに目を向けてもらうような工夫を凝らした。例えば、給湯器やウォシュレットなど新製品の勉強会を開いたり、実質的に小売店を任されている店主の奥方向けに、ウォシュレットを8〜10台売ったら九州・雲仙への旅行に招待するといった、キャンペーンを企画したりもした。
「旅行は、私を含めて男性は5人だけ。あとはすべて小売店の奥方なんてこともありました(笑)」
  こうした地道ながら独自の取り組みが実り、水道工事店がリフォームの需要を開拓。それが営業所の業績にもつながった。従来の営業手法にとらわれず、自分なりのやり方を貫く。木瀬社長の志向と性格が、この時の成功をたぐり寄せたといえよう。

目指すはオンリーワン技術の開拓、
ショールームと施工ネットワークの充実

 TOTOは今、木瀬社長の指揮下、「お客さまにとって、社会にとって、なくてはならない会社になろう!」という合言葉を掲げて、さまざまな取り組みを進めている。
「まずTOTOにしかできない技術を活かし、伸ばしていく。つまり、オンリーワン技術の研究と開拓に力を注ぎます。そして、それをお客さまに知らしめるために、舞台装置であるショールームの充実を図る。また、実際にそれらをお客さまのところに確実にお届けするために、施工ネットワークの強化にも取り組んでいきます」。こう語る木瀬社長が営業で培ってきた顧客志向は、経営の舵取りにも大きく影響を及ぼしていることは間違いない。
  とはいえ社長という立場上、これまでのように気軽に現場へと出向いて顧客と言葉を交わしたり、若手社員のなかに入って「飲みニケーション」を図ることは、そう容易ではない。それだけに、顧客の声が自分まで届く仕組みをいかにして作るかに、手腕をふるうべき時が来ている。
  しかも今は、自らがスタンダードであり、いわば体制を引っ張っていく側だ。これまでの豪放磊落で、何事にも動揺せず、自分軸で突き進んできた木瀬社長が、今後はどのような経営を行っていくのか。大いに注目していきたいところである。



王監督と懇意。ホークスの応援にも駆け付ける

社長就任以来、通勤も社用車になり、身体を動かす機会が減っている。そのためゴルフが唯一の運動となっており、できるだけ時間を作っては、コースへ出るようにしている。またプロ野球観戦は今でも大好き。王貞治監督がTOTOの顧問だったこともあって、今でも懇意にしている。当然今は、福岡ソフトバンクホークスのファンだ。ホークスがキャンプを張る宮崎市の津村重光市長とは、高校・大学が同期という友人。最近も共に新チーム発足パーティに出席し、チームの活躍に声援を送った。



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