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トップの素顔 2004年秋号 Vol.67
 

三菱商事株式会社

代表取締役社長 小島 順彦
代表取締役社長 小島 順彦 氏 小島 順彦(こじま・よりひこ)
1941年、東京都世田谷区生まれ。学芸大学付属小・中学校から都立日比谷高校を経て、65年東京大学工学部卒業、三菱商事入社。卒業直前にフランスとの交換交流で渡仏が決まったため、入社は5月。入社後は重機部に配属となり、製鉄プラントのフルターンキービジネスなどを手がける。その後、従業員組合委員長やサウジアラビア出向、ニューヨーク駐在、金融サービス本部長、新機能事業グループCEOなどを経て、2004年4月、社長就任。

飽くなき挑戦心で
2,000億円への道を突き進む

転がり続けてきた経験が、新たな三菱商事を切り拓く
2004年7月、三菱商事は新たな中期経営計画を発表した。
2004年3月期に連結純利益1,000億円を達成し、次なる目標である2,000億円を実現するための基盤づくりとなる計画だ。
この壮大な計画に立ち向かうのが、さまざまなビジネスに関わり、事業会社としての三菱商事の礎を築いてきた小島順彦新社長である。

純利益1,000億円を達成した三菱商事が
新たに描く目標にふさわしい、新社長登場

 「いろいろなところを転々として、経験を積んできたからかもしれません」
 自らの社長抜擢の理由を、小島順彦氏はこう推察した。転々としてきたといっても、いわゆる商社マンのイメージさながら、世界各地を飛び回ってきたということではない。確かにサウジアラビアと米国、2回の海外赴任を経験しているが、社内を見回しても決して多いほうではない。その真意は、勤務地だけでなく事業部、職種、役割と、さまざまな立場を、「転石、苔を生ぜず」のごとく、転々としてきたところにある。
 三菱商事はここ数年、「物」を流通させて利ざやを稼ぐ仲介型のトレーディング・ビジネスから脱却。従来の総合商社のイメージからはかけ離れた「集中と選択」を進め、4つのコア事業それぞれで川上から川下までをカバーするバリューチェーンを構築している。そして各事業の新しい領域で、自ら投資し、経営する「事業化」にも積極的に取り組んでいる。その結果、前中期経営計画「MC2003」で掲げた、連結純利益1,000億円という目標を見事成し遂げた。
 今後もこうした展開をさらに推し進めていくには、あらゆる立場を「転々」としながら、ビジネスのさまざまな領域を経験し、全社的な立場でモノが言える小島社長のような人材こそがふさわしいということなのだ。
 「数多くの経験を積んでいるということもありますが、そもそも興味を持ったことには、どんなことでも果敢に挑戦していく気質。そういうところも、これからの三菱商事を引っ張っていくには、ふさわしいということかもしれません」
 自身の発言からもわかるように、小島社長の素顔を紹介する際には、「挑戦心」という言葉抜きに語れない。そして、その挑戦心に突き動かされた先々で、幅広い人脈を構築してきた実績も、その人柄を語るうえで欠かせないものだ。

退路を断ってまで、自分の決断に突き進む
負けん気と挑戦心は、並ではない

 少年期よりも青年期、さらにはその後の社会人生活のなかで、小島社長の挑戦心は一層高まっていった。
 東京・世田谷に生まれた小島社長は、学芸大学付属世田谷小学校、同付属中学校、都立日比谷高校と、いずれも自由でのびのびとした校風のなかで過ごす。
 当時の学芸大学付属小学校は、一切クラス替えがなく、ひとりの教師が6年間担任を受け持つことになっていた。ずっと同じ同級生と過ごすわけだから、当然その間柄はとても親しいものになる。50年ほど経った今でもクラス会が続いているというのだから、クラスメイトというより、兄弟姉妹の関係に近いのかもしれない。
  「幼なじみは昔の話をできるのが楽しいんです。想い出を語ることで、一気に当時の関係に戻って打ち解けられる。そんな関係を通じて、徐々に人付き合いのコツみたいなものを学んだのかもしれません」
 クラスでトップだった女性は最高裁判事になり、ガキ大将だった男性は東銀リースの副社長を務めた。高校でも同級で、お互いの結婚式の司会をするほど親交の深い戸坂馨氏は、NECエレクトロニクスの社長になっている。そうそうたる顔ぶれであるが、そんな仲間と何十年にもわたって親交を保ち続けている。その秘訣を尋ねると、「マメな幹事がいて、何くれとなく世話をしてくれるからじゃないでしょうか」と微笑むが、小島社長の持つ「何か」が、自然と周囲の人を引き寄せている気がしてならない。
 というのも、詳しくは後述するが、学生時代に限らず小島社長の周りには自然と人の輪が作られるからだ。
 一方、そうした仲間との切磋琢磨が、小島社長の挑戦心をかき立てることも多かった。
 例えば、高校卒業後、いったんは慶應義塾大学に進学した小島社長だったが、浪人した同級生たちを見ていたら、居ても立ってもいられなくなった。浪人した彼らのほとんどが、東京大学を目指して猛勉強していたのだ。
 もともと負けん気が強く、挑戦心旺盛な性格の小島社長は、「両親の反対を押し切って、さっさと退学届を出してしまいました。これが、親の意見に左右されず、自分というものを貫いた、初めての経験でしたね」。
 退路を断って勉強に邁進したおかげで、東京大学理科一類に合格。実は、現役時代に同大学の文科一類を受験するも、不合格だったという経験を持つ小島社長。同じ学部を受け直しても進歩がない、という理由で理科一類を受験したというから、その挑戦心には驚かされる。専門課程の進級時には、図学が得意だったという理由で、工学部の産業機械工学科を選んだ。図学には、製図の前に2次元の図面を見て、全体感を3次元として把握する能力が必要である。それを活かせる学問として工学科を選択したという。しかし就職先は、工学部出身者としては珍しい商社だった。
 「理由は、たったひとつ。海外で仕事がしたかったからです。そもそも東大では、エンジニアであっても国内だけに目を向けていてはいけないと、フランスの工科系大学と交換交流を行っていました。彼らとの付き合いもありましたし、私自身もその流れで渡仏したくらいですからね」

自らリスクをとることも必要であると
商社のフルターンキービジネスを拓く

 入社後は機械グループの重機部に配属され、製鉄プラントの売り込みを担当。八幡製鉄所時代から取引を手がけ、合併後の新日本製鐵時代まで仕事を続けた。職場の伝統は、万機公論。明治政府の基本的な政策を示した、「五箇条の御誓文」の第一条にある言葉で、広く会議を開設し、何においても公の議論によって決めよということ。
 「部長や課長の言うことが正しいとは限らない。平社員でも自由に発言して、やりたいことをやれと。ただし、その際の判断基準は、それが顧客のためになるのかということでした。特に、部長だった内海清さん(常務を経て富士コカ・コーラボトリング社長に。故人)には、そこを徹底的に指導されました」
 小島社長はこの時代に、輸入機械の据え付け工事までを請け負う、小規模ではあるが当時の商社としては未経験ともいえるフルターンキービジネスに取り組んだ。海外の機械を仲介するよりも、何倍ものリスクが存在する。しかしそれが顧客のためになり、自社の利益となるならば、進んでリスクをとるべきではないかというのが、上司であった内海氏の、そして小島社長自身の判断だったのである。 「最初は、お客さまに依頼されたことでしたが、またとないチャンスだから、挑戦してみようと思ったのです。もちろん起こりうるあらゆるリスクをしっかり予想し、上司にも逐一報告しながらですが」
 結果、まだ20代だった小島社長が、据え付け業者に見積もりをとるところから、実際の製品発注までを担当。見事にそのビジネスを成功に導き、顧客からも高い評価を得ることができた。この経験から小島社長は、緻密なリスク分析と対応策の構築さえできれば、リスクをとるビジネスは、大きな収益につながるということを学んだのである。これも、生来の挑戦心が学ばせてくれた貴重な財産だった。
 小島社長は今も、大事な決断をする時には、内海氏からもらったカフスボタンを身につける。夫人もそんな小島社長の姿を見ると、口には出さないが、今日は大切な日であることを察してくれる。それほど内海氏から受けた指導・薫陶は、実体験とともに今の小島社長のなかに深く残っているのだ。

ベンチャー経営者との人脈を築き
社内では若手社員の跳ね返りを期待する

 12年いた重機部を離れたあとは、従業員組合の専従から委員長、サウジアラビアへの出向、米国三菱商事の駐在。もともと海外での仕事を夢見て、三菱商事に入社した小島社長にとって、当初の希望がようやくかなったわけだ。
 「とはいえ、今になって振り返ると、国内でみっちりと基礎固めをしたうえで海外に赴任できたことは、自分自身にとって、非常に良かったと思いますね」。さらに帰国後は社長室会事務局部長、業務部長を歴任し、業務・開発担当役員としてローソンの買収も推進。ビジネスだけにとどまらない、多種多様な経験を積んだ。もちろんそのなかでも、持ち前の人付き合いの良さを発揮し、さまざまな分野の人との交流を持ち、人脈を広げていった。
 カルチュア・コンビニエンス・クラブの増田宗昭社長、松井証券の松井道夫社長、楽天の三木谷浩史会長兼社長など、優秀な若手ベンチャー経営者とのつながりもできた。
 2000年4月、当時社長だった佐々木幹夫現会長のもと、新機能事業グループのCEO(最高経営責任者)を任されたのも、そうした経験を買われてのことだった。
 「ここは、商品別の縦割りグループと違って、金融、情報通信、物流、マーケティングの4機能で、横断的に新事業を探すのが仕事でした。しかも同時期に発表された中期経営計画『MC2003』の達成には、欠かせない役割を担うグループだったのです」
 このように新しく、期待の大きい仕事こそ、小島社長には適任だったといえよう。着実にその任を遂行し、「MC2003」達成にもしっかりと貢献をしたのだから。
 三菱商事は2004年、新たに「INNOVATION2007」という中期経営計画を発表。ここでは、「MC2003」の精神を受け継ぎ、“新・産業イノベーター”として総合事業会社へ大きくシフトチェンジする、その基盤づくりを行うという目標が据えられている。
 「特に人材育成には、力を注いでいきます。ですから若い社員と話す機会があれば、『次の時代のキーワードを自分なりに考えて、それをベースにいろんなビジネスモデルを考えろ』と、口が酸っぱくなるほど言っているのです」
 ゆくゆくは純利益2,000億円の達成、という壮大な目標に向けた準備を進めることも含まれている。当然ながら小島社長が担う責任と期待も、ますます大きくなる。しかし、目標が大きければ大きいほど、挑戦心はかき立てられるというものだ。4年後、必ずや確かな成果を、われわれの前に示してくれると信じている。



サウジアラビア赴任時は、家族で地中海クルーズ

 夫人と2人の娘がいる小島社長。サウジアラビアへの出向は単身赴任だったために、家族にはずいぶん寂しい思いをさせた。その罪滅ぼしではないが、赴任2年目の夏には、家族で地中海クルーズを楽しんだ。家族思いのやさしい夫であり、父親なのだ。ちなみに、米国三菱駐在時には一家で転勤。小学校5年生だった下の娘は、1年半で英語を流暢に話すようになったが、中学2年生になっていた上の娘は、3年もかかってしまった。この経験から、日本人が英語を使いこなすためのコツは、「習うより慣れろ」だと実感。今も日本人の英語については、一家言を持っている。



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