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CONTENTS on line vol.90 2010 ★ SUMMER  

先駆者たちの大地
 羽田空港という街
日本空港ビルデング株式会社[9706]
2010年10月、4本目の滑走路が完成し、羽田空港は再び国際空港となって大きく変わろうとしている。
こうした発展をホスピタリティの面から支え、開港以来、旅人をもてなす役割を果たしてきたのが、日本空港ビルデングという民間企業である。 企業の沿革 日本空港ビルデング

旅人を迎える言葉

1954年当時の旧東京国際空港ターミナルビル 1954年当時の旧東京国際空港ターミナルビル

羽田空港を利用する乗降客は1日平均約17万人である。日本では最大、世界の空港のなかでも、アトランタ、ロンドン、北京、シカゴに次いで第5位となる乗降客数だ。これに空港で働く人々を加えると約20万人。東京都渋谷区の人口にほぼ匹敵する。それだけの人々が、毎日、羽田のターミナルビルを行き交っている。この、ひとつの街のような巨大なターミナルビルには、人波のなかで気づく人は少ないかもしれないが、そこここにひとつのメッセージが隠されている。例えばエントランスゲートの上や、吹き抜けの壁や、外壁の上に、さりげなくラテン語の銘文が刻まれているのだ。これは、ドイツのロマンチック街道で中世から栄えた城塞都市ローテンブルクのシュピタール門に刻まれ、旅の商人たちを迎えた銘文で、日本語に訳すと「訪れる人に安らぎを、去り行く人にしあわせを」という意味になる。そして、この言葉をCS(顧客満足)の理念として掲げているのが、このターミナルビルを運営している日本空港ビルデング株式会社である。

国の玄関である空港全体は国土交通省の所管だが、そこにターミナルビルを建設、運営しているのは民間企業であるということを知る人は少ないだろう。しかし、訪れる人々のために絨毯をきれいにし、食事や飲み物を用意し、窓辺に花を飾るのは誰なのかを考えれば、それが民間企業である意味も見えてくるのではないだろうか。空港ターミナルビルという巨大な施設に血を通わせているのは、国ではなくやはり人なのだ。

独立を回復した日本に表玄関を

羽田に民間航空機専用の飛行場として東京飛行場が開設されたのは1931(昭和6)年のことである。政府は定期航空便の開設を決定し、そのための飛行場用地として羽田にあった鴨猟場の北側52万8,000m2の埋立地を選定した。それまで軍用の飛行場はあったが国営の公共飛行場は羽田が日本で最初のものだった。

その後、東京飛行場は、第二次世界大戦中には軍用基地として使用され、戦後は米軍の基地ハネダ・エアベースとして収用された。収用が解除されたのは1952(昭和27)年7月1日である。その前年に調印されたサンフランシスコ講和条約がこの年の4月28日に発効し、日本は独立を回復したばかりだった。

1955年当時の空港平面図。滑走路は2本 1955年当時の空港平面図。滑走路は2本

ハネダ・エアベースは、返還された当日から東京国際空港として生まれ変わった。日本の占領状態が終結し、世界に向けて表玄関が開かれた華々しいスタートであったが、当時使用されていたターミナルビルは東京飛行場時代に作られたものを米軍が基地用に改築した施設で、手狭で設備も古く、国の玄関口としてはいかにも貧弱だった。そのうえ空港が返還されたあとも、米軍輸送部隊(MATS)が駐屯しつづけていたため、常に多数の軍人が出入国していて一般の旅客には決して快適なものではなかった。

そこで当時の運輸省は、民間航空専用の新ターミナルビルの建設を計画した。しかし独立を回復したばかりの日本にそのための資金はなく、国家予算による建設は認められなかった。唯一残された道は、民間資本による建設だった。こうして1953(昭和28)年7月20日、国内主要企業の協力のもと、資本金1億5,000万円の日本空港ビルデングが発足し、東京国際空港ターミナルビルの建設が開始されたのである。

空港は東京の人気スポット

開館当時の東京国際空港ターミナルビル全景 開館当時の東京国際空港ターミナルビル全景

会社設立から2年後の1955(昭和30)年5月17日、念願のターミナルビルが完成し、5月20日に供用(第三者の使用に供するという意味で、公共物の運用についてはこの言葉がよく使われる)開始となった。新しいターミナルビルは、旅客関係施設の入った4階建ての本館と貨物関係の別館に分かれ、本館内は国際線と国内線に区分されていた。また見送りの人たちや見学者のために、エプロン(駐機スポット)に面して全長400mの送迎デッキが設けられた。海外がまだまだ遠かった時代、この送迎デッキは異国へのあこがれを掻きたて、見学者は開館後の5年間で1,100万人を超えて、東京国際空港は東京でも有数の人気スポットとなっていった。

日本空港ビルデングの事業は大別して2つの部門で構成されている。ひとつはもともとの会社設立の目的である不動産管理部門、つまり貸室業で、航空会社を中心とした関係各社に各部屋を賃貸し維持管理する部門。もうひとつは付帯事業と呼ばれるもので、物品販売や食堂の運営、来訪者へのサービスの提供などを行う部門である。日本空港ビルデングは、この付帯事業を食堂部門以外すべて直営とした。自ら責任を持って、訪れる人々に最上のサービスを提供するためである。この直営方式によってさまざまなアイデアがサービスに活かされ、それはやがて、ビッグバードと呼ばれる現在のターミナルビルに通じる独自の個性を形成していくことになる。ともあれ、世界でもほとんど例を見ない民間資本によるターミナルビルの経営は、こうした事業によって支えられていくことになった。

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