CONTENTS on line vol.89 2010 ★ Spring  

先駆者たちの大地
 世界に山九を
山九株式会社[9065]
ありがとうという気持ちをそのまま社名にした企業、山九。 グローバルなアウトソーサーへと成長したこの企業を支えているのは、ユニークな業態と、社名に込められた創業者の思いだった。 写真館 企業の沿革 山九の歴史

創業者 中村精七郎
創業者 中村精七郎

山九という社名は、創業時に事業基盤となった山陽道と九州の頭文字を組み合わせたもので、「さんきゅう」と読むのだが、その読みにはもうひとつ大きな意味が込められている。

創業者中村精七郎がロンドンへ行った時のこと、通りかかったイギリス人紳士に道を尋ねると、丁寧に教えてくれたあと「Thank you」と言って立ち去った。普通なら感謝するのは道を教えてもらった側で、教えたほうが「ありがとう」と言うことなど日本では考えられない。これはおそらく、信頼して道を尋ねてくれてありがとう、という意味なのだろうと精七郎は解釈し、会話のなかに、こうした気遣いが習慣として組み込まれていることに感銘を受けた。

感謝の言葉、Thank you──。紳士のその言葉は胸に深く響き、やがて起業した時、精七郎は「感謝」を社訓のひとつとし、Thank youという言葉をそのまま社名に用いたのである。

社訓三原則(「公言実行」「自問自答」「感謝」)は現在まで受け継がれているが、それは抽象的な社訓にとどまらずに企業文化のなかに生き続け、明らかに山九という企業の個性を形作っている。個性的なのはもちろん社名だけではない。業態そのものが、同社をきわめてユニークな企業にしている。

内容についてはその足跡を追いながら見ていくことにするが、ひと言でいえば現在の山九はアウトソーサーとしての真髄を極めようとしている。「感謝」が、相手を思う心だとすれば、山九には創業の時点から、顧客のために活動するアウトソーサーとしての心が備わっていたことになる。山九と名づけた時点から、この企業のすべては始まっている。

山九の誕生

山九運輸設立当時の議事録
山九運輸設立当時の議事録

山九が当初からアウトソーサーを目指していたわけではもちろんない。その創業は、アウトソーシングという言葉も概念もまだなかった頃、大正時代にさかのぼる。

創業者中村精七郎は、兄が開設した運輸事業所で支配人として経験を積んだあと、1905(明治38)年、32歳の時に独立して個人経営の中村組を設立した。中村組は当初、軍の命令によって物資の運輸作業を行っていたが、1907(明治40)年からは、韓国の鉄鉱石を官営八幡製鐵所に輸送する事業と、韓国政府が所有していた平壌鉱業所の無煙炭を徳山の海軍燃料廠に輸送する事業を柱に成長し、大正に入ってから朝鮮半島と九州・大阪を結ぶ近海航路の海運業者として飛躍していく。

創業から10年余り、急成長を遂げていた中村組に、ある時、下請け業者の磯部組が援助を求めてきた。磯部組は八幡製鐵所と徳山燃料廠の揚荷役や構内作業を担当していたが、経営不振からその事業の継承を中村組に求めてきたのである。磯部組の事業は八幡製鐵所にとっても徳山燃料廠にとっても重要なもので、両者とも中村組の事業継承を支持したことから、中村組は磯部組の株5,150株を譲り受けて買収することとなった。

こうして1918(大正7)年10月1日、中村精七郎を取締役社長とし、磯部組は社名を山九運輸(株)と改めて中村組の子会社となった。中村組の海運と山九運輸の港湾荷役を一貫させた新たな体制がここに整ったのである。

山九運輸設立の頃の官営八幡製鐵所
山九運輸設立の頃の官営八幡製鐵所

八幡製鐵所と徳山燃料廠の事業は山九運輸となってからも経営の柱となっていた。海軍が石油の重要性に着目し、燃料廠の拡張や貯油設備の新増設工事が活発になると、山九運輸は用地造成や岸壁築造などの工事にも進出してビジネスチャンスを広げた。さらに昭和に入り、国策によって満州と朝鮮の製油所建設が始まり、山九運輸は機材の輸出から建設工事、保守などの構内作業まで一貫して引き受けて業容を拡大していった。

運輸とともに、プラント建設やメンテナンスなどいわゆる機械工事を重要な柱とする現在の山九の業態は、このようにして創業の初期から徐々に形作られていったのである。

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