CONTENTS on line vol.88 2010 ★ NEW YEAR  

先駆者たちの大地
1兆円企業に熱湯を注げ
大和ハウス工業株式会社[1925] 写真館 企業の沿革 大和ハウス工業の歴史

熱湯経営始まる

代表取締役社長 村上健治
代表取締役社長 村上健治
※2011年4月より、代表取締役副会長に就任

大企業病をいかに治療するか。社長に就任した樋口の熱湯経営は、まず役員の任期を2年から1年に改めることから始まった。全役員が危機感を持って勝負するよう、成果をあげた者にだけ翌年の業務を託す。また、赤字を出した支店長はボーナスゼロに、そして80支店(2001年当時)のうち、21支店の支店長を交代させるなど、支店、人事制度に大ナタを振るった。

こうして大企業病の払拭は進められたが、もうひとつ、大きな課題となったのが、大和団地合併とともに抱えこまざるを得なかった巨額の有利子負債である。

合併後すぐ、樋口は石橋から「4年で借金を全部返してくれよ」と言われていた。有利子負債は合わせて1340億円。これを2005年までの4年間で段階的にゼロにすると発表した。ところが4年を3年に、3年を2年にと、石橋の指示は数カ月ごとに前倒しとなっていった。各支店が事業のためにあらかじめ買っていた販売用不動産は、経済の悪化によりどんどん価格が下落していく。当時、経理を担当していた現・副社長の小川哲司は言う。「土地はまだまだ下がるというのが相談役の判断だったんでしょう。だから早く販売して、借金の返済に回せと」
2000億円以上あった土地は、とにかく資金回収を優先し、借金返済に充てた。一方で、配当金を17円から10円に減配し、役員報酬・賞与はカットした。樋口の捨て身ともいえる経営の結果、借入金は、石橋の指示通り2年で完済された。

しかし、財務改革はこれで終わらない。株式評価損、土地の評価損、さらに退職給付金関係で処理しなければならないものなど、過去からの多額の積み残しがある。樋口の指示を受け、小川が計算してみると、全部で2100億円もあった。これを赤字を出さずに特損で処理するには、7年かかる。これまで大和ハウス工業は赤字を出したことがない。赤字を出さない、というのが、創業者石橋信夫の信条でもあった。しかしあと7年も社員や株主に無理強いはできない。苦渋の選択であったが、樋口は2003年の3月期で一括処理、つまり創業以来初の赤字を決断した。

この頃、石橋は、能登の山荘に逗留していた。2000年の初頭から体調を崩し、養生していたのである。2月中には、相談役の了承を得なければならない。どう説得するか。それを考えながら日々を送っていた2月21日夜7時過ぎ、高知支店にいた樋口のもとに本社から電話が入った。「オーナーが、たった今亡くなられました」受話器の声はそう告げている。  
樋口は急遽、本社に向かった。車中、初の赤字決算の了承を得そこねたことが、胸のなかで渦巻いていた。

告別式の翌日、樋口は本社15階にある相談役室にこもった。遺影をじっと見つめていたが、やがて、あたかも石橋がそこにいるかのように訴えかけた。 「一発でやらせてください。それが会社のため、社員のため、株主のために最善の方策と決断しました。二度と赤字にはいたしません。これで必ずV字回復を成し遂げます」
その時、もう30年近くも前、山口支店長時代に石橋社長から言われた言葉が、はっきりと聞こえた気がした。
「樋口くんな、長たる者は決断が一番大事やで」

樋口武男から村上健治へ、そして次世代へ

2003年4月30日、大和ハウス工業は2100億円の特別損失の一括処理、913億円の赤字決算を公表し、攻勢に転じた。一連の樋口の改革が功を奏し、翌2004年3月期には連結売上高1兆2246億円、経常利益725億円、純利益372億円を計上し、相談役に約束したとおり、V字回復を果たしたのである。

樋口武男は、石橋との約束に従って4年目の2004年に会長となり、社長の座を村上健治に譲った。後継の育成を考えてのことである。現在の大和ハウス工業は樋口・村上体制のもと、リチウムイオン電池など環境技術を活かした環境エネルギー事業への取り組み、「住宅ストック市場」への取り組み、ロボットスーツなど高齢化社会を見据えた「医療・介護分野」への取り組みなど、これからの社会のあり方に沿った事業を重点施策として掲げ、新たな市場を切り開いている。社長の村上は、83年から展開している中国でのビジネスも重視し、ほぼ毎期現地に赴いて現況を把握している。2009年6月に地元企業と合弁で963戸のマンションを竣工した大連では、現在、新たに2190戸の分譲マンションや商業店舗、ホテルなどの複合施設を建設中だ。蘇州では大和ハウス工業単独で902戸の分譲マンションを開発中である。2009年12月時点で大連の963戸のマンションの契約率(戸数ベース)は90%を超えている。現地で働く社員の姿が、村上には、高度経済成長の頃の自分自身や大和ハウス工業の姿に重なって見えるという。慣れない文化、風習、そして十分とはいえない社会インフラのなかでも「大丈夫、任せてください」と胸を張り、現地の政府と渡り合う若手社員には、間違いなく野武士の血が流れている。

石橋信夫と樋口武男との対話のなかで、2人は「創業100周年にはグループ10兆円企業になろう」と語り合っていた。創業者石橋信夫が大和ハウス工業を1兆円企業に育て上げ、その薫陶を受けながら育った樋口武男が経営者のバトンを受け継いだ。トップの最大の仕事は後継者を作ることだ、と石橋信夫はしばしば語っていた。大和ハウス工業の未来を握る経営の原点は、まさにそこにある。バトンは村上が、そして次世代の野武士たちが受け継いでいくはずだ。

(IRマガジンvol.88 2010年新春号)

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