失速

高い推進性能と低振動を同時に実現した最新鋭の145,000K型(モス方式4タンク)LNG船運搬船
高度経済成長のなかで、三菱重工は貿易立国の牽引役として、船舶を中心に事業規模を飛躍的に拡大していった。さらに事業体制の専業化を各分野で推し進め、1970(昭和45)年には自動車事業部門を独立させて三菱自動車工業(株)が発足した。その年の後半、いざなぎ景気が終わり、1973(昭和48)年には第1次オイルショックが起こり、日本経済は一転して低成長経済へと移行した。
造船業界は高度成長期に各社が設備を急拡大し、実需を大幅に上回ってしまうという構造不況に見舞われ、低迷を続けた。国内トップクラスの造船会社である三菱重工も苦難に直面したが、原動機、プラントなどの機械部門を主体に事業規模を拡大し、こうした局面を乗り越えた。
エレクトロニクス、ソフトウエアなどの新しい産業が脚光を浴び始めたのはこの頃である。それまで日本の産業をリードしてきた鉄鋼業や重工業は重厚長大産業と呼ばれ、しだいに苦境に陥っていった。

人工衛星打ち上げ用H-UAロケット。三菱重工が製造し打ち上げを行う
三菱重工は、そうした状況のなかでも、高い技術力と、機械のデパートといわれたさまざまな分野の総合力を武器に、日本のトップ企業として安定した経営を保っていた。バブル崩壊後も業績を伸ばしつづけていたが、2000年3月期決算で、1370億円という巨額赤字を計上する。1964(昭和39)年に3重工が合併して以来、初の赤字決算であった。
原因となったのは、海外での輸出工事の採算悪化などである。バブル崩壊後も順調に見えた三菱重工だが、日本の経済成長の停滞は、当時の三菱重工の主要ビジネスであった公共事業予算の削減や電力会社などの設備投資抑制を徐々に引き起こした。海外での輸出工事は、そうした国内の厳しい環境を打開する一手だったが、国内のビジネスモデルをそのまま海外に当てはめ、リスク管理が十分に機能せず、赤字の引き金を引いてしまったのだ。
再び、技術の原点へ

時間に合わせて家族を起こしたり、メールや伝言を伝えるなどコミュニケーション能力を持つロボット「wakamaru」。身長約1m
しかし、この未曾有の難局を抜本的な事業再編と受注前のリスク管理の強化で乗り切り、翌年には黒字回復を果たした。その後、さらなる収益力向上、ものづくり技術基盤の強化、社会・顧客の信頼性確立を基本方針とした「2006事業計画」で3つの変革の柱を打ち出す。
1つ目の柱である「プロダクトミックスの変革(収益構造の転換)」では、原動機、航空・宇宙、汎用機・特殊車両の3つの事業領域を収益の柱と明示した。現在、約40年ぶりの国産旅客機として注目を集めている国産初のジェット旅客機「MRJ」は、座席数が70〜90クラスだが、完成すれば、このクラスとしては初めて本格的に炭素複合材を使用した新鋭機となる。
2つ目の「ものづくり基盤の変革(徹底した内製力の強化)」では、ものづくりこそ三菱重工の基盤であるとして、社長直属の組織としてものづくり革新推進室を設立。生産現場における改善を徹底することを宣言した。具体的な取り組みとしては、社内生産能力の強化および生産技術力の向上、人材育成などによる生産現場の革新を行うとともに、標準化・共通化手法の適用を拡大するなど、量産品のものづくり手法の全製品への展開を行うことや、シミュレーション技術を駆使した設計前の事前検証の強化により、高い製品信頼性を確保することなどがあげられる。
そして3つ目の「リソース投入の変革(成長に向けた経営資源の積極的投入)」では、伸長事業に経営資源を重点投入することを謳っている。
これらが集約されたものが、この計画と同時に発表されたコーポレートアイデンティティ・ステートメント「Dramatic Technologies この星に、たしかな未来を。」だ。事業計画のなかで示したものづくりの強化で、安全・安心な未来を提供していく思いが込められている。現在、三菱重工では2008年度からの次期3カ年事業計画を策定中であり、今後もますます同社から目が離せないだろう。
※写真提供:三菱重工業株式会社
(IRマガジンvol.81 2008年春号)






