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IR MAGAZINE トップの素顔 先駆者の大地
先駆者の大地 2006年秋号 Vol.75
 

TDKが創ってきたもの。
TDK株式会社

斉藤憲三
TDKの創業者、
斉藤憲三(1939年)

TDKが好調である。
4期連続で増収増益を記録。
好調の要因は何か。
そもそもTDKは何を作っているのか。
TDKの実像に迫ってみたい。

カタログ画像
フェアライトコアのカタログ
スペーサー画像
セラミックの磁性体
セラミックの磁性体、フェライト。東京工業大学の加藤五郎博士と武井武博士が発明した日本オリジナルの素材。
写真は1930年頃のもので、この頃は用途も実用化の可能性も未知数だったが、これがTDKのすべての始まりとなった。
スペーサー画像

フェライトという未来

  TDKという社名を知っていても、その意味を知っている人は少ないだろう。TDKとは東京電気化学工業の頭文字で、1983年まではこれが正式社名だった。
カセットテープでその名を知られたが、創業は1935年と磁気テープの歴史より古く、じつはカセットテープはその商品群の一角にすぎない。カセットテープが市場の表舞台から姿を消した現在でも、TDKは4期連続で増収増益を記録しているのだ。社名と同様、知名度は十分に高いが、その事業については案外知られていない。知られているのに知られていない会社。それがTDKという企業である。
 TDKの歴史を振り返ろうとするなら、必ずフェライトの話から始めなければならない。フェライトとは金属酸化物をセラミックとして焼結した磁性体である。
東京工業大学電気化学科首席教授の加藤与五郎博士と武井武助教授による日本オリジナルの発明品で、1932年に特許を取得(特許番号第98844)している。  1935年の夏、その加藤博士のもとへ、加藤博士の教え子である小泉勝永に連れられて齋藤憲三という男が訪ねてきた。
齋藤は1922年(大正11年)に早稲田大学を卒業したあと故郷の秋田に帰り、不況にあえぐ農村に何とか事業を起こそうと試みていたが軌道に乗らず、事業の種を探していた。
齋藤の父は齋藤農法といわれた乾田馬耕の農法によって米の収穫を高めた農政家で、衆議院議員に8回連続当選した地元の名士であった。
父の伝を頼るうち齋藤は小泉勝永と出会い、電気化学という学問の存在を知って事業化の種を感じ取ったのである。
 齋藤に会うなり、加藤博士は「日本に本当の工業はない」と話し始めた。日本の工業はすべて欧米からの借り物であり、日本人の頭脳から生まれたものでなければ日本の工業とはいえない。日本人による独創性のある工業を育てなければならないと、加藤博士は語った。博士の言葉に強い感銘を受けた齋藤は、博士の発明品のなかで最も独創的だと誇れるものは何かとたずねた。用途も工業化の可能性もまったく未知数だが、と言いながら、その時博士が見せてくれたものがフェライトであった。

そこにあるのは夢だけ

 1935年12月7日、フェライトの工業化を決意した齋藤はどうにか資金を工面し、東京市芝区(現在の港区西新橋)に会社を立ち上げた。
齋藤が加藤博士と出会ってからわずか4カ月目のことである。社名は、フェライトが発明された東京工業大学の電気化学科にちなんで東京電気化学工業鰍ニした。会社設立を決意した齋藤が、特許の承諾を得るために再び加藤博士を訪ねた時、博士は、フェライトはまだ用途も商品価値もないという理由で、無料で特許を譲ろうと齋藤に告げた。自分の考えに共鳴して工業化を思い立った齋藤の熱意に、日本の独創的な工業化への夢を託した博士の厚意であった。
 さて、会社は立ち上がったが、当初は約6坪の小さな事務所があるだけでフェライトを工業化するための工場も設備もなかった。
齋藤は金策に奔走し、1937年7月21日、東京の蒲田にようやく工場が完成した。この頃には東京工業大学から新たなメンバーも加わり、通信機などの部品に使われるフェライトコアの試作がいよいよスタートした。こうして出来上がった最初の製品はオキサイドコアと名付けられ本格的な営業活動が開始された。この頃のカタログを見ると表紙に「純国産特許高周波磁心 TDKオキサイドコア」の文字が見え、TDKという名称は最初の製品から使われていたことがわかる。  
 営業初年度に当たる1937年の売り上げは個数にしてわずか372個と振るわなかった。当初営業目標としていた通信機器への採用が伸びなかったためで、次に、当時成長しつつあったラジオ用の部品に目標を定め、新たな営業活動が開始されたが、これが功を奏した。
1940年5月、松下電器産業鰍ゥら約10万個のフェライトコアを受注し、フェライトコアはようやく軌道に乗り始めた。この頃、1937年7月7日の盧溝橋事件をきっかけに日本は戦争への道を突き進み、軍部からの受注が拡大して東京電気化学工業は苦しい時期を脱していった。

新展開

 戦後、日本の産業は壊滅し、軍部からの需要が売り上げのほとんどとなっていた東京電気化学工業の生産も激減した。
再起をかけてラジオ用コアなどを細々と生産していたが、1947年10月、GHQ(連合国軍総司令部)の通達が救世主となった。
日本のラジオはそれまで並四方式と呼ばれる再生回路方式を採用していたが、ノイズが多いため、今後生産するラジオはすべてスーパーヘテロダイン方式を採用することという通達であった。この方式は中間周波トランスを使うが、中間周波トランスを作るにはフェライトコアを使わなければならない。
フェライトコアを生産しているのは東京電気化学工業一社だけであった。40社近くあったラジオメーカーが一斉にスーパーヘテロダイン方式に切り替えたことから、 フェライトコアの注文は生産能力をはるかに超えるほど殺到した。この回路方式の切り替えは、東京電気化学工業の経営を安定させただけではなく、新たな展開を促すことになった。
 1950年代に入り、日本が戦後の混乱期を脱した頃から、ラジオの需要が急増し始めた。中間周波トランスはフェライトコアとセラミックコンデンサを組み合わせて作るが、しだいにセラミックコンデンサの生産が需要に追いつかなくなってきた。これが フェライトコアの売り上げにブレーキをかけることを懸念した東京電気化学工業は、1950年10月、コンデンサの自社生産を決定した。完全な後発であったが、電気通信研究所(旧電電公社の研究所)に技術者を派遣して指導を受けるなど苦労を重ね、1954年4月、生産決定から3年半を経て本格的な量産体制が整った。この間、1953年2月にNHKによるテレビの本放送が始まり、民放も同じ年の8月から放送を開始したことでテレビの時代が幕を開けた。
東京電気化学工業はテレビ用コンデンサにも進出し、現在のチップコンデンサにつながる新たな道を切り開いていった。

TDK大ヒット

 テープレコーダーの原型は1930年代に登場していたが、音質が改良され実用に堪えられるようになったのは第2次大戦中のことである。
その後、1947年にアメリカの3M社が磁気録音テープを発売し、放送用や取材用に使われるようになってきた。日本では1950年に東京通信工業(現・ソニー梶jが発売したテープレコーダーが最初である。フェライトコアやコンデンサなどの部品以外に柱となる製品がほしいと思っていた東京電気化学工業は、1951年8月、磁気テープの開発に着手した。磁気テープは磁性材料の応用製品であるとはいえ、その磁性材料を塗布するベース材、塗布する技術など、東京電気化学工業にとっては未知の技術への挑戦である。試行錯誤の末、1953年10月に最初の製品を発売したが、磁化の大きさを表す保磁力がまだまだ小さく、本格的に営業活動を行うには至らなかった。その後、磁性材料に改良を重ね、NHKが放送用に使用していた 3M社の製品と同等の品質が得られるようになり、正式にNHKの放送用テープとして認められて、1957年、200巻を受注した。
 1960年代に入るとオランダのフィリップス社がコンパクトカセット方式を開発し、特許を無償で公開した。いわゆるカセットテープの登場である。東京電気化学工業は66年3月にフィリップス社と契約を交わし、同年6月、国産第1号のカセットテープを松下電器産業にOEM(相手先ブランドによる生産)供給した。しかしこの頃のカセットテープは記録できる信号量が少なく、音楽用には使えなかった。東京電気化学工業はOEM販売を主体として事業を展開していたが、自社ブランドのテープとして、音楽用に使えるカセットテープの開発にとりかかった。
やがて、世界最高の保磁力を持つ戸田工業鰍フ針状粒子材料を使った音楽用カセットテープが完成した。TDKブランドを冠し「SD(スーパーダイナミック)カセット」と名付けられたこのカセットテープは、68年9月、ニューヨークで行われたCE(コンシューマ・エレクトロニクス)ショウに出品され、圧倒的な拍手で迎えられた。
そして翌69年3月に国内で発売が開始され、デビューを果たしたのである。カセットテープは部品メーカーである東京電気化学工業が初めて手がけたエンドユーザー向けの商品であった。東京電気化学工業は、最初に製品化したフェライトコアからTDKブランドを使用していたが、SDカセットの爆発的なヒットによってTDKの名は一般消費者の間に一気に広まっていった。このため、83年3月1日、創立50周年を前にして東京電気化学工業はTDK鰍ノ社名を変更することとなった。

エレクトロニクスへ

 1946年2月に、ENIACと名付けられた世界初のコンピュータが完成した。このマシンにはプログラムが内蔵されていなかったが、コンピュータが進化するにつれ、演算素子やメモリコアなど、フェライトの応用範囲はどんどん拡大し、東京電気化学工業もこの分野へ進出していった。
なかでもとりわけ重要な部品が磁気ヘッドである。当時、磁気ドラムなどの外部記憶装置用ヘッドには、主にパーマロイなどの金属磁性材料が使われていたが、記録密度が高まり、高速化して周波数も高くなるにつれてパーマロイでは対応しきれなくなり、フェライトを使うことが検討され始めた。こうして 1962年4月、フェライトコアを厚さ0・5ミリにスライスした舟形の磁気ヘッドが発売された。これを端緒として、磁気ヘッドの高密度化の要求はさらに加速していった。この要求に応えるためには磁気ヘッドのコア(磁心)のギャップ(隙間)をミクロン単位(1ミリメートルの1000分の1)の狭さにする必要があった。
この微細なギャップを実現できるのはガラス熔着の磁気ヘッドである。68年にIBM2314型対応ヘッドの発注があった時には2・7ミクロンのギャップが求められ、手探りで技術を開発しながら初代のガラス熔着磁気ヘッドを完成。試行錯誤を重ねながら製品を開発しつづけるうち、フェライトヘッドの市場は東京電気化学工業の独壇場となっていった。現在では、TDKのハードディスクドライブ用磁気ヘッドは世界シェアトップとなり、TDKの売り上げの約40%を占める大きな柱へと成長を遂げている。


TDKが創ってきたもの

 フェライトという未知の素材からすべては始まった。フェライトの可能性とともにTDKの可能性は広がり、フェライトとともにさまざまな事業分野へ進出していった。
その歩みをなぞるかのように、TDKは「素材技術」「プロセス技術(素材を加工し製品に仕上げる生産技術)」「評価シミュレーション技術」をコア技術として蓄積し、ものづくりの基盤としている。現在はこの基盤のうえに「情報家電」「高速・大容量ネットワーク」「カーエレクトロニクス」という3つの成長分野を置き、そこに経営資源を集中させて事業を展開している。
 さて、TDKは何を創ってきたか。さまざまな分野でさまざまな部品を作ってきたが、結局、TDKが創ってきたものは未来である。
フェライト以外は何もなかった。無限の未来だけがそこにあったといえるだろう。そう考えると、未来という言葉がTDKほど似合う企業はない。
今後トレンドがどのように変化しようと、フェライトで培ったコア技術がぶれることはないだろう。未来に対する強さこそ、TDKの強みである。






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