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IR MAGAZINE トップの素顔 先駆者の大地
先駆者の大地 2005年春号 Vol.69
 

日本復興のスイッチをONに
九州電力株式会社

九州電力初代社長
九州電力初代社長
佐藤篤二郎


戦後すぐに、日本初のアーチ式ダムと
世界水準の火力発電所の建設にとりかかり、
いち早く電気の安定供給を実現させた九州電力。
電力の完全自由化が迫るなか、
日本の復興に多大な貢献をした
先駆者の足跡を追ってみる。

戦後の荒廃のなかで、1日も早く電力基盤を回復し産業の復興に貢献するために、1955年に九州電力が完成させた日本初のアーチ式ダム、上椎葉(かみしいば)発電所。ここで培われた技術は後に黒四ダムに引き継がれていった

日本のエネルギー源が動き始める

 1945年の終戦以来米軍の統治下にあった日本は、1951年のサンフランシスコ講和条約によって占領状態を脱し、独立を回復した。
  この年わが国では、昭和30年代に始まる高度経済成長を予見するかのように、次々に明るい種子が蒔かれていった。1月3日にはNHKのラジオで第1回紅白歌合戦が放送され、大きな反響を呼んだ。後にテレビ黎明期のヒーローとなる力道山が相撲界からプロレスに転向し、日本人初のプロレス試合を行ったのもこの年である。雑誌『少年』では手塚治虫が原子力の平和利用を願って生み出したヒーロー、アトムがデビューを飾った。そして、こうした新しい活力を支えるかのように、この年、日本では新たなエネルギーの胎動が起こっていた。戦時中、国家管理となっていた電力事業がGHQ(連合国軍総司令部)の要求によって民営化され、5月1日、全国を9ブロックに分けた発送配電一貫の電力会社に再編されてスタートを切ったのである。終戦から6年、日本のエネルギー源がいよいよ民間の力となって動き始めた。
  この電力事業再編の過程で「電力の鬼」と呼ばれ、日本の電力事業の基盤形成に生涯を賭けた松永安左エ門は、九州は壱岐島石田村院通寺浦の出身である。安左エ門輩出の地である九州を支える九州電力が、水力、火力などさまざまな分野において先駆者としての試練を乗り越えてきたことは、必然であったのかもしれない。

日本初の巨大アーチ式ダムの建設

 九州電力は、この電力事業の再編によって、九州一円に電力を供給する発送配電一貫の新会社として設立された。当時の日本は、1950年6月に起こった朝鮮戦争による特需に沸き、輸出産業を中心に産業全体が顕著な成長を示していた。続く10月には鉱工業生産が戦前の水準を突破し、産業基盤を支える電力の拡充が最優先課題となっていた。しかし戦争による電源設備の荒廃や電源開発の遅れによって電気の供給は慢性的に不足し、本格的な復興を行うためには、新たな電源開発による電気の安定供給が急務であった。
  日本の発電は水力が主体の「水主火従」であったが、九州は離島が多いこともあり、発電の多くを火力に頼る「火主水従」の構造となっていた。しかし電力需要の急増に対応して電気を安定供給するためには、大容量の水力発電所が絶対的に必要であった。この時、巨大ダム建設の構想はすでにスタートを切っていた。九州電力設立の5年前のことである。
  終戦の翌年、1946年、九州山脈に囲まれた宮崎県上椎葉の山中で、九州電力の前身である日本発送電(株)の土木部員によって測量が開始された。上椎葉のある耳川水系は宮崎県内でも有数の多雨地帯にあり、豊富な水量と地形に恵まれて昭和初期から水力発電所が建設されていた土地である。1950年、日本発送電はアメリカの海外技術顧問団(O・C・I)に開発構想計画について打診した。当初、技術的に信頼があり実績もあった「重力式コンクリートダム」の建設が計画されていたが、現地を調査したO・C・Iからの勧告は「アーチ式ダム」の構想であった。上椎葉の地形がアーチ式ダムに適しているうえ、コンクリート量も著しく低減できるなど、工期短縮と工事費節約効果が大きいとの判断によるものであった。しかし日本は地盤構造が複雑で、流域面積に比して降水量が多いなどの理由から、それまで本格的なアーチ式ダムは一度も建設されていなかった。上椎葉に日本初のアーチ式ダムを建設するとなると、設計、技術、施工、すべてを一から学ばなければならない。しかし、後に九州電力初代社長となる佐藤篤二郎は悩みぬいた末、意を決した。九州には水力発電が必要なのだ。いつかは誰かが先駆者にならなければならない。かくして日本初となる巨大アーチ式ダムの建設計画にゴーサインが出された。この間、1951年5月1日に電力再編が行われ、ダム建設プロジェクトは九州電力に引き継がれた。
  設計が始まると、九州電力とO・C・Iのスタッフの間でたびたび白熱した議論が交わされた。特にダム本体と同様に重要な構造物である余水吐について、O・C・Iは中央溢流型を提案していたが、九州電力側は安全性の面からスキージャンプ式を採用し、ダム本体の安定性を評価する安全率についても試行錯誤の末、九州電力独自案が採用されることになった。こうして1952年秋、すべての解析が終わり上椎葉ダムの設計が完了した。いよいよ建設のスタートである。40km離れた延岡から、日夜、リフトによって大量のセメントが運び込まれた。現場は、初めて直面する課題と格闘する日々であった。例えばコンクリートは打設後に高い熱を持ち、放っておけばひび割れを起こす。これを解決するために、打設前に各ブロックに細い管を敷設し冷却水を通すパイプクーリングが採用された。収縮によって発生する各ブロックの隙間はグラウトによって埋められた。技術者たちは一つひとつ課題をクリアし、1954年中には中間湛水・一部発電という見通しが立った。しかし、同年9月13日、折からの台風12号が九州地方を襲い、上椎葉に700mmを超える豪雨をもたらした。水は水路に流入したうえ、完成前のダムの許容水量をオーバーし、完成間際の発電所に冠水の危機が迫った。不可抗力の天災であった。発電機は水浸しになり、一からやり直しとなる箇所も多々発生したが、幸いダムは無事だった。皮肉にもこの不測の事態がダムの安全性を確認させることとなったのである。早速、不眠不休の復旧工事が開始された。復旧に要した費用は当時の金額で4億円。工期は半年の遅れとなった。1955年5月、ダムは完成し、湛水が開始された。完成まで5年。延べ500万人を超える労働力と総工費140億円を費やす一大プロジェクトであった。上椎葉で切り開かれた日本初のアーチ式ダムの技術は、その後、数多くのダム建設に引き継がれていった。なかでも1963年に完成した関西電力の黒部川第四ダムは、その集大成といえるものとなった。
  上椎葉大学──現在でもダム技術者は敬意を込めてそう言う。上椎葉ダム建設プロジェクトで磨かれた技術と人材の影響力、さらに上椎葉発電所の運用を通じて多くのエキスパートを育てた実績を評価しての一言である。

世界水準の火力発電所を日本に

 電力の安定供給のためには上椎葉ダムに続いてさらなる電源開発が必要であった。火力か、それとも他の電力会社に歩調を合わせて水力に大きく舵を切るか。この時、九州電力社長の佐藤篤二郎にはひとつの信念があった。「九州の石炭産出量は全国の60%以上だ。われわれはこれまで培った火力技術を活かして、全国に先駆けて生産性の高い火力発電所を建設する」。そんな折、佐藤はアメリカで高効率の火力発電プラントが開発されているという話を耳にして、即座に決断を下した。「最新鋭火力発電プラントをアメリカから導入する」。こうして苅田発電所の建設がスタートした。
  当初、輸入するプラントは容量6万6,000kW、非再熱式の仕様とし、アメリカ側メーカーとの商談の準備が進められた。しかしアメリカではすでに容量7万5,000kW、再熱式の最新鋭プラントが稼働していた。すぐに仕様は変更され、最新鋭プラントの輸入が決定した。プラントを輸入するということは、アメリカでの発電所運営の手法・考え方などすべての導入を意味する。建設の方法をはじめ何もかもがこれまでとは違っていた。日本では気にもとめなかった清掃の手順、外壁のペンキ塗装の頻度までもが事細かに指示され、マニュアル化されていた。
  1954年11月5日、建設所起工式が行われ、建設資材や設備がアメリカから続々と送られてきた。完成の期限は1956年の3月までである。1日も早い日本の復興のために、建設期間はわずか1年4カ月しかなかった。プラントの先行工事が急ピッチで進められるなか、ようやくタービンが送られてきた。船上のタービンを見て技術者たちは驚いた。現場でのロスをなくすため、巨大なタービンは組み立てられた状態ではるばる太平洋を渡ってきたのだった。タービン据付のために先行して行われたアンカーボルト工事は、誤差1.5mm以内という厳しい精度を要求されるものだったが、タービンとアンカーボルトの位置関係は寸分の狂いもなくピタリと収まった。その後もボイラ、タービン、電気など各部署で難工事が続き、1年はあっという間に過ぎ去った。完成期限が刻々と近づき、苅田発電所は営業運転に入るための最後の難関を迎えることとなった。国の竣工検査である。合格しなければ営業運転ができない。検査日は1956年3月31日、タイムリミットぎりぎりである。午前7時50分、検査が始まった。最大出力7万5,000kWの負荷を4段階に分けて検査する、タービン発電機負荷遮断試験である。4分の3まで負荷をかけた段階で、タービンの回転数は予想を超えて3,935回転まで上昇し、すでに限界ぎりぎりとなっていた。検査は失敗であった。制御装置の設定がずれているとしか考えられない。再熱調整弁の制御装置を点検してみると、果たして予想通りであった。設定を調整し直し、再度試験が開始された。7万5,000kW全負荷をかけ終え、遮断した。タービンの回転速度は上昇を続け3,954回転に達した。許容限度までもうわずかしかない。次の瞬間、回転数は徐々に下降を始めた。非常停止装置は作動しない。成功の瞬間であった。午後11時40分、検査は完了。日付は4月1日になろうとしていた。まさに期限ぎりぎりの完成であった。戦後第1号の世界水準の火力発電所が、こうして営業運転を開始した。
  苅田で培った技術は、その後の発電所建設などに受け継がれていくと同時に、苅田より効率の良い発電所に主役を譲っていった。現在苅田では、廃止された新1号機の一部設備を利用して世界最大の加圧流動床複合発電(PFBC)を開発し運転している。このPFBCは多くの新しい技術を導入したことにより、社内外で高い評価を受けている。

電力会社の新たな挑戦

 上椎葉発電所や苅田発電所の運転開始によって、九州電力の需給状態は1955年前後からようやく安定し始めた。その後も神武景気、岩戸景気などの好景気を背景に需要は増加を続けていたため、電源の開発は引き続き行われた。特に原子力では、75年に全国で9基目の原子力発電所として玄海原子力発電所が営業運転を開始、84年には川内原子力発電所も営業運転を開始して、2003年度には年間発電電力量868億kWhのうち47%を原子力発電で賄うまでになっている。エネルギーの安定供給の確保、経済性、環境への適合などを総合的に勘案したバランスのとれた電源構成は同社の強みとなっている。
  また、九州電力の大きな特徴のひとつに、火山帯を利用した地熱発電の開発がある。地熱発電はマグマに熱せられて蒸気となった地下水でタービンを回して発電するもので、化石燃料をまったく使わず、発電時にCO2を排出しないクリーンな発電方式である。九州電力は67年に電力会社としては国内初の地熱発電所となる大岳発電所の運転を開始、77年には国内最大の地熱発電所、八丁原(はっちょうばる)発電所の運転を開始した。現在、九州では5カ所の地熱発電所が稼働し、合計で20万kWを超える発電能力を有している。
  1951年の電力民営化の際、電力の鬼・松永安左エ門は「電気事業の自立なくして、今後の日本の復興の因である電力需要にどう応ずるのだ」と発言し、電気料金の値上げを断行した。この値上げは各界から反発も大きく、安左エ門のもとに脅迫状が届くこともあった。しかし、これによって電力会社の株価は回復し、海外からの資金も導入され、日本の電力事業の礎が築かれたのである。こうした思いを受け継いだように、九州電力はいち早くさまざまな電源開発に取り組み、急増する電力需要に応えて産業基盤の形成に貢献してきた。しかし、2000年に電力各社は大きなターニングポイントを迎えた。電力の自由化が始まったのだ。さらに2005年4月からは、すべての高圧受電の顧客が自由化の対象となり、2007年4月以降は、一般家庭向けを含む全面自由化の検討が開始される。価格やサービスなど、商品としての「電気」の質が問われる時代が到来しているのだ。
  電気の安定供給、経済性、環境問題への対応など、電力会社の果たす社会的責任は大きい。それに加えて、今後は収益性の確保など企業としての責任もますます増大してくる。これまで先駆者として試練の道を歩んできた九州電力の動向は、日本の電力会社の進むべき道を示すひとつのモデルとして注目に値するものである。




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