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IR MAGAZINE トップの素顔 先駆者の大地
先駆者の大地 2004年秋号 Vol.67
 

声のつぎに伝え合うもの
日本電信電話(NTT)株式会社

1926年、自動式電話の使い方を周知させるポスター


日本で電話事業が始まって114年。
日本中に張り巡らされたネットワークによって
人の声を伝え合ってきた電話が、大きく変わろうとしている。
国策によってスタートし、電話網を支えてきたNTTは
今どこへ向かおうとしているのか。
電話は、これからどのように変わっていくのだろうか。

1890年(明治23年)12月16日、東京―横浜間で日本の電話事業はスタートした。写真は創業当時使われたベルギー製の単線式単式交換機。加入者からの通話表示があると交換手はそのジャックにプラグを差し込み、加入者の告げた通話相手のジャックにもう一方のプラグを差し込んで接続していた。
1979年の全国完全自動即時化まで、農村や山村の小局では使われていた

交換機への投資凍結

 NTTグループは、2002年4月、電話交換機への新規の投資を原則停止すると発表した。これが何を意味するか、わかるだろうか。現在の固定電話は、全国津々浦々まで張り巡らされた伝送路と交換機で成り立っており、電話サービスは、ライフラインとして不可欠な全国均一のサービス、いわゆる「ユニバーサルサービス」として提供されている。今使われている交換機が寿命を迎えた時、これまでのような固定電話網はその役割を終えることになる。日本の電話事業の歴史は、電話架設需要を完全に満たす「積帯解消」と、市外通話がすぐにつながる「全国自動即時化」を目標として進展してきた。それは交換機の発展と伝送路の整備の歴史である。交換機は、いわば国営からNTTに至る電話事業史のシンボルであった。そのシンボルを確かな礎とし、NTTは新たな歴史を歩み始めようとしている。日本で電話事業がスタートして114年、今、未曾有の変革が起ころうとしている。

国営事業としてスタート

 日本の電信電話事業は、1869年(明治2年)12月、東京―横浜間で公衆電報の取り扱いが開始されたことに始まる。1890年(明治23年)1月に、東京―熱海間で公衆用市外電話の取り扱いが開始され、同年12月には東京―横浜間で電話交換業務が開始された。創業当初の加入者数は、東京155、横浜42であった。アメリカで電話が発明されたのが1876年(明治9年)。その翌年、日本は世界に先駆けてこれを輸入しているが、それから電話事業創業まで13年もかかったのは、官営か民営かで議論を重ねていたためである。官営論を進めていたのは工部省、民営論を進めていたのは渋沢栄一をはじめとする実業家たちである。しかし1885年(明治18年)に工部省が廃止され、電信、郵便、灯台、海運などの業務をひとまとめにした逓信省が発足すると官営論が一気に加速し、1890年(明治23年)、電話事業は郵便事業とあわせて逓信省の所管となり、国営事業としてスタートすることに決定した。東京―横浜間で始まった長距離電話は、その後、大阪、神戸、長崎へと徐々に距離を延ばしていったが、1923年(大正12年)、関東大震災が京浜地区を襲い、電話網にも多大な被害をもたらした。その復旧にあたって、それまで交換手が手動でつないでいた交換機を自動化させようという気運が盛り上がり、1926年(大正15年)、東京の京橋局に第1号の自動交換機が導入された。
 日本の電話事業は順調に発展を続けていたが、やがて第2次世界大戦が勃発、その被害は甚大であった。戦争末期に108万台に達した電話加入者数は、終戦時には54万台に激減していた。
 終戦から4年後の1949年6月1日、逓信省は電気通信省と郵政省に分離された。これは国鉄、日本専売公社の公共企業体への移行と同様にGHQ(連合国総司令部)の指示によるもので、電気通信事業の経営組織を行政機構から脱皮させようとするものであった。それまで郵政事業と一体で歩んできた電話事業は、独立した事業として復興の道を歩み始めることとなった。

積滞解消と全国自動即時化を目指して

 戦後の電話の復興ははかばかしくなかった。政府は1949年7月、「電信電話復興審議会」を設置し、電信電話の復旧・復興、改善に関する重要事項を調査・審議することとした。そして、経営主体を十分な自主性と機動性を兼ね備えた企業体に改め、最も能率的な運営を行う必要があるとの結論に達した。その結果、国家財政の枠を脱した拡充資金の調達を図り、合理的かつ企業的に経営することを理念として、電信電話事業は公共企業体として設立されることになった。こうして1952年7月31日、日本電信電話公社法が成立し、翌8月1日、日本電信電話公社(以下、電電公社)が発足した。
 公社発足の直前、1952年4月28日にサンフランシスコ平和条約が発効し、日本は独立を回復した。この頃には日本経済は戦後復興をほぼ完了し、昭和30年代の高度経済成長の前夜にあり、電話架設に対する社会の要望はきわめて熾烈なものとなっていた。公社は、発足の1年後に施行された公衆電気通信法に規定されているとおり、「迅速且つ確実な公衆電気通信役務を合理的な料金であまねく、且つ、公平に提供することを図ることによって、公共の福祉を増進する」ことを目的として、その後の四半世紀、電話の積滞解消と全国自動即時化という2大目標の達成に向けて歩んでいくこととなる。

2大目標の達成

 戦争で日本の電話網はズタズタになり、伝送路は圧倒的に不足していた。1940年代の後半、電話加入は2年待ち、市外通話は特急でも申し込んでから1〜2時間待ちが普通という状態。そして、その状態を打開するために目指したのが「積滞解消」と「全国自動即時化」である。電電公社は発足の翌年、1953年に「第1次5カ年計画」を開始し、この目標達成に向けて新たな交換方式の検討を急ぐとともに、次代を担う交換技術への本格的な取り組みとして、国産クロスバ交換機の研究開発を開始した。クロスバ交換方式は、それまでのステップバイステップ方式に代わる次世代の主流と目されていた技術で、電電公社はアメリカで開発された「No.5クロスバ」を交換技術的な目標としていた。1958年、国産で最初のクロスバ市内自動交換機が東京の府中局と埼玉の蕨局で実用化され、その後さまざまな改良が加えられて急速に全国に普及していった。クロスバ交換方式の市外中継交換機は1959年に実用型が完成、最初に仙台局に設置され、1961年から市外中継交換機の標準形として順次全国の主要都市に設置された。これが大きな要因となって、67年には日本の電話機数は約1,000万台に到達、全県庁所在地都市相互間の自動即時通話サービスも達成された。
 70年代に入ると交換機の技術はさらに進化し、IC(集積回路)によって交換動作を制御する電子交換機が登場、大容量同軸ケーブルや大容量マイクロ波中継方式などの技術が次々に実用化されていった。その結果、78年3月に積滞解消、79年3月に全国自動即時化という2大目標が相次いで達成され、電電公社の長年の夢は実現した。

アナログからディジタルへ

 積滞解消、全国自動即時化が達成され電話がより身近で便利なものになってくると、ユーザーニーズは高度化・多様化し、電電公社は国策としての電話の普及という役割をひとまず終えた。こうした状況に対応し、効率的な事業運営を可能にするため、また、市場に競争原理を導入してさらに活性化させるため、電電公社は民営化されることとなった。85年4月、日本電信電話(NTT)株式会社が発足し、明治以来の電信電話事業の官営の歴史にピリオドが打たれた。同時にそれまでの「公衆電気通信法」は「電気通信事業法」に改正され、電話機や回線利用制度は自由化された。87年、第二電電(現KDDI)、日本テレコム、日本高速通信(現KDDI)の3社が長距離電話サービスに参入し、電話事業は「独占的環境下における量的拡大の時代」から「競争環境下における質的高度化の時代」に入った。
 高度情報化社会がいよいよ本格化しようとしていたが、こうした時代への対応は電電公社時代からすでに始まっていた。2大目標を達成した79年、電電公社は、ジュネーブで開催された「テレコムフォーラム'79」において「高度情報通信システム(INS:Information Network System)構想」を提唱した。これは「より安く、より便利で豊富な電気通信サービスを、住んでいる場所や距離に関わりなく、均一な料金で、いつでも、あまねく公平に提供すること」を理念として掲げたもので、そのためのインフラストラクチャーとしてネットワークのディジタル化が不可欠であると指摘した。NTTはこのINS構想に基づいて交換機や伝送装置のディジタル化に着手、82年に初のディジタル交換機が実用化された。その後ネットワークのディジタル化は徐々に進展し、97年、NTTはすべての市外回線のディジタル化を完了させた。
 一方、この頃、85年のNTT発足以降も継続して行われていたNTTの経営形態見直しの論議も最終局面を迎えていた。96年12月6日、NTTと郵政省の間で「NTTの再編成についての方針」が最終的に合意に至り、NTTは分割再編成されることが決定した。
 99年7月、持株会社とNTT東日本、NTT西日本が発足し、同年5月に設立されていたNTTコミュニケーションズが営業を開始した。ネットワークのディジタル化も完了し、名実ともに「独占的環境下における量的拡大の時代」が終わって、いよいよ「競争環境下における質的高度化の時代」が本格的に始まろうとしていた。

電話のつぎへ

 2002年11月25日、NTTは「“光”新世代ビジョン――ブロードバンドでレゾナントコミュニケーションの世界へ」と題する新しいビジョンを発表。レゾナントとは「響く、共鳴する」という意味で、映像を駆使した双方向高速通信で生活やビジネスのあり方そのものを変えるような新しいコミュニケーション環境を提供し、世の中と共鳴しながら進歩していく、という内容を謳っている。
 これまで見てきたように、電話事業は、まず、遠距離でもすぐつながりすぐ話せることを目標に進んできた。79年にこの目標が達成されると、電話は「声を届けるもの」から「データを届けるもの」を目指し始めた。電話網はアナログからディジタルへ移行し、97年にすべての伝送路がディジタル化された。この間、技術の進化とともにユーザーニーズも高度化し、より大きなデータを高速で送受信できる環境が求められるようになってきた。こうした要請に応えるものがブロードバンドであり、その究極に位置するものが超高速広帯域の双方向高速通信を実現する光ファイバーである。
 こうした動きとともに従来の固定電話にも変化が起こり始めた。IP(インターネット・プロトコル)電話の出現である。これはデータ通信規約であるTCP/IP接続によって、音声データをパケット(小包み)に分割して伝送するもので、電話交換機に代わってルーターと呼ばれる伝送機を介して送受信が行われる。電話交換機は特注品で、価格は1台数億円から数十億円といわれ、メンテナンスのコストも老朽化の進展とともに年々膨大になる。これに対してルーターは汎用品のため価格は数百万円程度に抑えられるうえ、ユーザーにとっても魅力的な料金を実現できる。従来、長距離電話は中継交換機を経由するごとに料金が加算されていたが、IP電話は交換機を介さないため、長距離でも市内通話と変わらない料金で利用できるからだ。
 音声通信から大容量のデータ通信へ。固定電話はIP電話へ。こうした変化によって、114年間、人の声を伝え続けてきた電話交換機は、次世代の技術にその役割を譲ろうとしている。ただし、長い歴史を積み重ねてきた従来の電話網と同等レベルの品質や信頼性を備えたIPネットワークを構築することは決して容易なことではない。現行のIPネットワークにはまだまだ電話網にはかなわない面がある。
 NTTグループは、次の一歩をどこへ踏み出そうとしているのか。その答えが光によって構築されるフルIPのブロードバンド・ネットワークであり、それによって実現されるレゾナントコミュニケーション環境である。この11月には、中期経営戦略が発表される。そこでは従来の固定電話網と同等レベルの品質や信頼性を併せ持った、光によるフルIPの次世代ネットワークをどのように実現していくのかについての具体的な展開が示されることだろう。音声通信が社会を変えてきたように、新たな通信インフラが社会をどのように変えていくのか、もうすぐその全貌が見えてくる。






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