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IR MAGAZINE トップの素顔 先駆者の大地
先駆者の大地 2002年11〜12月号 Vol.58
 

「日本の主翼」から「世界の主翼」へ
日本航空株式会社

スチュワーデスの初代の制服(1951年)


2002年10月2日、日本航空は日本エアシステムと統合し、
持株会社「株式会社日本航空システム」が発足した。
戦後、閉ざされていた日本の空に第1号機を飛ばしてから51年、
日本の航空政策を支えてきたナショナルフラッグ・キャリアは、
今、新時代の空へ向けて、新たな飛行を開始しようとしている。

1951年10月25日、日本航空定期便の幕を開けた「もく星」号。
このマーチン202型機はノースウエスト航空からのチャーター機だった

日本の空に、日本人の手で

  1951年10月25日午前7時43分、マーチン202型「もく星」号は、大阪へ向けて羽田飛行場を飛び立った。乗客は36名。機体はノースウエスト航空からの借り物で、パーサー1人とスチュワーデス2人を除けば乗務員も外国人だったが、翼には日の丸、胴体には日本航空の文字がくっきりと浮かび上がっていた。これが、戦後、日本人の手によって飛び立った最初の飛行機である。
  1945年8月15日の終戦以降、連合軍総司令部(GHQ)により日本の民間航空活動は全面的に禁止されていた。国内航空機輸送の再開が決定されたのは、1950年のことである。GHQは、当時日本に乗り入れていた外国航空会社7社に共同で航空会社1社を設立させ、この会社に日本の国内航空業を許可すると、日本政府に伝達した。
  これに対し民間側でも、1951年1月には日本航空株式会社の創立準備事務所を開設、当時、日本商工会議所会頭だった藤山愛一郎(後に外務大臣)が発起人総代に選出された。航空会社免許の申請は同社を含め5社の競合となったが、航空庁の行政指導によって日本航空に他の4社が合流し、申請は一本化されることとなる。こうして日本航空は国内航空運送事業の営業免許を取得し、同年8月1日、戦後初の日本人の手による民間航空会社となった。会長に藤山愛一郎、社長には元日本銀行副総裁の柳田誠二郎、専務取締役に航空庁長官だった松尾静磨が就任し、本社を銀座に置いた。従業員数は役員を除きわずか39人だった。
  営業免許は取得したが、運航は外国の航空会社に委託する条件だったため、日本航空はノースウエスト航空と運航委託契約を交わす。極東進出に関心を示し、日本航空の要求する機種・機数の提供を受け入れたのは同社だけだった。こうしてノースウエストからチャーターしたマーチン202型は「もく星」号と名付けられ、戦後初の日本の民間航空機として飛び立っていったのである。

国際線運航開始

  1952年にサンフランシスコ講和条約が締結し、7月には羽田飛行場が米軍から返還され東京国際空港となる。ノースウエストとの委託契約は1年で終了し、日本航空は9月20日、いよいよ自主運航を開始した。その頃、国際線運航開始に向けて日本航空を含む数社が免許を申請していたが、交付するのは1社のみとする運輸省の方針により、激しい競争が展開された。しかし「新日本航空株式会社法案要綱」が閣議決定され、国際線を担当する新会社を設立し日本航空を吸収させることとなり、問題は決着。1953年10月1日、日本航空株式会社法に基づく新しい日本航空株式会社が正式にスタートした。資本金は旧日本航空と政府の折半出資で、日本で唯一の国際線定期航空運送事業会社が誕生したのである。
  1954年2月2日、東京―サンフランシスコ線を開設し、日本航空はついに国際線に進出した。週2便で運賃は片道650ドル(当時のレートで23万4,000円)。36人乗りDC-6B型1機につき30人の乗客を確保しなければ採算がとれないのは明白であったが、結果は2月中の1便平均有償旅客が6.6人という状況で、3月の決算では2億9,000万円の赤字を計上した。覚悟の赤字ではあったものの、海外旅行はまだまだ高嶺の花の時代だった。

「ジャルパック」で夢の旅が身近な旅へ

  国際線開設から2カ月後の1954年4月、それまでファーストクラスだけだった太平洋線に、現在のエコノミークラスに当たるツーリストクラスが新設される。
  また、それまでの販売強化策が実って利用率は少しずつ上向いていき、1955年度には国際線・国内線ともに黒字に転じた。
  そして1964年、海外旅行がようやく自由化となり、日本航空は、航空運賃やホテル代、手続きなどのすべてをパッケージしたホールセール商品「ジャルパック」を独自に企画し、65年1月から販売を開始。ジャルパックの登場で海外旅行は廉価で身近なものになり、この年の日本人出国者は20万人(『出入国管理統計年報・法務省編』/返還前の沖縄行き含む)を突破することになる。こうした需要増加を背景に、70年(昭和45年)、航空企業の運営体制は、日本航空、全日本空輸、そして日本国内航空と東亜航空を合併させた新会社との3社体制になり、72年(昭和47年)にはそれぞれの事業分野が次のように定められた。日本航空が国際線と国内幹線、全日本空輸が国内幹線とローカル線と近距離チャーター線、新設された東亜国内航空が国内ローカル線である。この運営体制は「45・47体制」と呼ばれ、85年までの間、日本の航空政策の基盤とされた。

巨人機1機、61億円

  ジャルパックによって海外旅行は身近になったが、日本航空は次代の大量高速輸送に備え、ジャンボ機の導入の機を計っていた。アメリカ・ボーイング社から、乗客定員300〜500人のボーイング747(以下B747)の採用意向について打診があったのが、65年の秋。当時、日本航空が長距離国際線の主力にしていたDC-8-55の乗客定員が最大144人であることからも、その巨大さがわかる。輸送力を増加させるには、大型機の就航はぜひとも必要であった。しかしB747は1機の予定価格が61億円を超えるため、発注を決定すればDC-8-55の24億6,000万円の約2.5倍にもなる巨額の投資であり、大きな賭けとなる。日本航空は慎重に検討を始めたが、決定に大きな影響を与えたのは当時の事実上のライバル社、パンアメリカン航空の存在である。
  日本航空とまったく同じ、東京―ホノルル―アメリカ西海岸路線を運航していた同社が、早々にB747を25機発注していたのである。この巨人機に他の飛行機で対抗することが困難なのは明白なだけに、日本航空はB747の購入を決意。70年7月1日午後9時39分、日本航空のB747第1便はホノルルに向けて東京国際空港を飛び立った。3月11日のパンアメリカン第1便の就航に遅れること112日、太平洋線では2社目のB747型機の就航であった。

いよいよ完全民営化

  日本航空の実績は、80年代も好調であった。83年にはIATA(国際航空運送協会)の国際線定期輸送実績統計で1位となり、87年までの5年間その座を維持、国際的な評価も高めた。この時期、日本航空に創業以来の大きな変化が訪れた。完全民営化である。85年12月、運輸省は、世界的な航空規制緩和の動きを受けて「45・47体制」を廃止。87年11月18日に「日本航空株式会社法を廃止する等の法律」が施行され、日本航空は100%民間企業となった。この完全民営化に伴い、新生日本航空は89年5月、長年親しまれてきたJALロゴを一新、機体のデザインも完全にリニューアルした。
  ただし、当初のデザインプランにはなかったことなのだが、社内外の強い意向により、伝統の「鶴丸」マークだけは尾翼に残されることになる。それは当時の日本人にとって、航空機や海外旅行といったものと日本航空の「鶴丸」のイメージが強く結びついていた証だった。
  その後現在にいたるまで日本航空が空に刻んできた歴史は、語るまでもない。

株式会社日本航空システムへ

  2001年11月11日付の日本経済新聞朝刊に載ったスクープ記事に驚かれた方も多いだろう。「日航、日本エア統合」という大見出しで、日本航空と日本エアシステムの統合が伝えられていた。記事のとおり、去る10月2日、持株会社である「株式会社日本航空システム」が発足し、両社はその傘下に入った。そして2004年の春には、国際線を担当する「日本航空インターナショナル」と国内線を担当する「日本航空ジャパン」を柱とする新体制に移行する。これまで国内線では全日本空輸が約1/2のシェアを占め、日本航空と日本エアシステムは約1/4ずつのシェアであったが、統合により全日本空輸と統合会社はほぼ拮抗することになる。この国内線の基盤を確保し、より熾烈な国際競争に挑む、というのが統合の目的である。
  これに伴い、新「JALグループ」のロゴマークも決定した。いよいよ「鶴丸」マークは姿を消すことになるが、輝ける太陽をモチーフに空に向かって上昇していくアーク(円弧)を描いた新ロゴは、日本を代表するエアラインにふさわしいグローバルデザインになっている。戦後の民間航空の先駆けとして飛び立った日本航空は、52年目に生まれ変わった。世界のメガキャリアに対して日本航空がどこまで力を発揮できるか、今回の統合がその重大な鍵を握っている。





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