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IR MAGAZINE トップの素顔 先駆者の大地
先駆者の大地 2000年11〜12月号 Vol.46
 

写真史に刻まれたカメラ大衆化への足跡
コニカ株式会社創始者  杉浦六三郎

(4902 現・コニカミノルタホールディングス株式会社)
1872年10月に
撮影された
若き日の
杉浦六三郎


ある晴れた日に撮影された1枚の写真が
ひとりの若者を感動させ、やがては
多くの人々に感動を創造させる
総合写真メーカーを生み出した。

世界初のストロボ内蔵カメラが象徴するコニカの歴史こそ、
日本の写真大衆化の歴史そのものである。

1975年、世界初のストロボ内蔵35mmカメラとして発売された
コニカC35EF、 通称「ピッカリコニカ」

1枚の写真から始まった総合写真メーカーの歴史

「ピッカリコニカ」という名前に、ほとんどの方は聞き覚えがあることと思う。世界初のストロボ内蔵35mmカメラ、コニカC35EF、通称「ピッカリコニカ」。カメラを現在のように大衆化させる原点となったこのカメラは、コニカの名を不動のものにするとともに、コニカというメーカーのあり方を象徴する製品である。コニカの歴史は、そのまま写真が大衆化してゆく歴史であった。もしコニカというメーカーの存在がなかったら、写真の歴史は大きく変わっていたはずである。
  ここに1枚の写真がある。写っているのは杉浦六三郎というひとりの若者。撮影されたのは1872年10月と伝えられている。東京の街にも写真館が次々にでき始めた頃で、おそらくそうした看板に誘われ、彼は生まれて初めてレンズの前に立ったのだろう。六三郎25歳の時である。
  杉浦家はもともと米穀商であったが、後に、町に薬種問屋・小西屋六兵衞を開業した。「小西屋」は、東京でも有数の大商店となっていた。六三郎は父の家業を手伝っていたが、この写真に強い感動を覚え、小西屋は、翌1873年から写真材料の取り扱いを始める。コニカの創業である。
  1879年、六三郎は6代目杉浦六右衞門を襲名、町の店を弟に譲り、日本橋に写真材料と薬種を取り扱う「小西本店」を開業した。

特権階級の贅沢品から大衆商品へ

  小西本店は1882年に写真暗函(カメラ)、写真台紙、石版器材の国産化に着手した。この頃カメラのユーザーはほとんどが写真館などを経営するプロであったが、やがて、現在のフィルムにあたる乾板の輸入が始まったことによってアマチュアカメラマンが増え始め、写真市場は拡大していった。この機をみて六右衞門は、1902年、現在の新宿区にあった淀橋町に工場・六桜社を建設、乾板をはじめとする感光材料の国産化を開始した。そして翌年、国産で初めての普及型カメラ「チェリー手提用暗函」を発売、2円30銭という当時としては破格の安さでカメラ市場を席巻し、カメラの大衆化に一気に拍車をかけた。その後、後継機種を次々に発売して好評を博したが、なかでも1911年発売の「ミニマムアイデア」は、明治を代表するカメラとして歴史に名をとどめている。こうして明治末期から大正にかけて、小西本店はすでに感光材料からカメラ本体までを扱う総合写真メーカーとしての体制を整え、写真の普及に大きく貢献するようになっていた。1921年、70歳を超えて次第に身の衰えを感じるようになっていた六右衞門は、家督を長男の甚太郎に譲って六右衞門を襲名させ、小西本店を改め、合資会社小西六本店として設立させた。
  大正時代、写真の世界に2つの革命が起こっている。1913年、イーストマン・コダック社の「ベストポケット・オートグラフィック・コダック」の輸入によるフィルムの普及と、1926年に日本に紹介されたライカの登場である。これに対し小西六は、1925年に、ロールフィルム使用のオール金属ボディ小型カメラ「パーレット」を発売、1929年には、「さくらフィルム」を発売した。一部の特権階級のものであったカメラは、次第に「大衆商品」への道を歩み始めていた。
  この頃、写真の歴史に六右衞門はもうひとつ大きな足跡を残している。合資会社小西六本店が発足する年の7月、病床にあった彼は5人の近親を枕元に呼んで、自分の代では実現できなかった写真学校を開校してほしいと希望した。これを受けて、1923年、小西六は幡ヶ谷に小西写真専門学校を設立した。写真の普及に尽力した六右衞門の遺志は、その後、東京工芸大学と名を変えて多くの写真家を輩出し、現在にいたっている。

同族経営の終焉と小西六の大改革

  1936年12月、7代目杉浦六右衞門は株式会社小西六本店を設立して、翌年3月に合資会社小西六本店を吸収合併した。しかし、第2次世界大戦の開戦によって小西六も軍需生産を余儀なくされ、社名も軍部のすすめに従って小西六写真工業株式会社と改名することとなる。戦後は食料や資材が不足し、写真業界も大打撃を受けていたが、進駐軍の間でカメラがブームとなり、やがてその熱は日本人にも伝播していった。小西六も民需に転換して再起への道を歩み始め、1948年1月、X線撮影用カメラを改造して35mmカメラ「コニカI型」を発売した。これがコニカブランドのスタートである。
  その後、1950年に勃発した朝鮮戦争によるいわゆる朝鮮特需、1958年に始まった岩戸景気、1964年の東京オリンピックによって日本のカメラ需要は大幅に伸びていったが、東京オリンピックが終わるや日本経済は一転して不況に陥り、写真業界も再び深刻な状況となった。小西六も経営不振となって、ついに67年下期、戦後2度目の無配に転じてしまった。ここから、小西六の大改革が始まる。翌68年、創業者一族以外から、初めて西村龍介が社長に就任し、1世紀近く続いた同族経営に終止符が打たれた。西村は、従業員の創造性を重視する能力主義、徹底した市場調査に基づくユーザー最優先主義を経営方針に掲げ、新生小西六をスタートさせた。その最初のヒットとなった商品が、71年に発売された乾式電子複写機「ユービックス」である。乾式複写機の市場は富士ゼロックスが独占していたが、小西六は富士ゼロックスの広範に及ぶ特許に抵触しないよう写真技術を応用した独自の方式を採用し、文字通り「写真のように美しい」画質によって大ヒットとなった。当時、エレクトロニクス技術の進展により社会は急速に情報化し、写真の世界も、旧来のカメラ屋、フィルム屋の世界から画像情報産業へと変わりつつあった。もともと写真材料の取り扱いから始まって総合写真メーカーへと発展していった小西六にとって、一見、他分野への進出にもみえるユービックスの開発は、画像情報産業のリーディングカンパニーとして、いち早く時代を捉えた当然の動きだったといえる。この成功で危機を脱した小西六は、いよいよ時代を画する1台のカメラを世に送り出すことになる。

ユーザー調査から生まれた世界初のストロボ内蔵カメラ

  西村社長の掲げた「徹底した市場調査に基づくユーザー最優先主義」は、もともと写真の大衆化をめざしていた小西六の創業以来の伝統でもある。技術者たちも自ら現場に足を運び、市場の動向を見て回ることを常としていた。そんな技術者の1人、内田康夫は、ユーザーがどんな写真を撮影しているかを調査するために、月に1度系列の現像所へ出向き、仕上がったカラープリントを見て回っていた。そして1年間の調査の結果、ある事実に気が付く。予想以上に失敗写真が多く、なかでも露出不足によるものが15%を占めていたのだ。誰でも簡単に撮れるカメラを作っていたはずなのにこれはどういうことか。ユーザーは専門家ではない。露出や光量など関係なく、撮りたい時にはシャッターを押してしまうのだ。当たり前のことなのだが専門家にとってこれは盲点だった。まさに現場でこそ発見できた事実である。露出不足を解消するにはストロボを使うしかない。かといっていちいちストロボを接続して使うのは難しい。内田の結論は、ストロボを小型化してカメラに合体させることだった。ストロボを発光させるには大量の電池が必要で、それが小型化のネックになっていたが、幸い、電池や放電管の技術革新が進み、やがて内田のアイデアは実現可能となった。こうして75年3月、世界初のストロボ内蔵35mmカメラ「ピッカリコニカ」が発売された。

全ブランドをコニカに統一しコニカ株式会社へ

「ピッカリコニカ」は、シャッターを押すだけで写真が撮れるというユーザーの根源的なニーズを捉え、カメラ大衆化時代の到来を象徴する大ヒット商品となった。ピッカリコニカに続き、小西六は独創的な商品を次々に送り出し、写真の歴史を書きかえていった。業界の常識を打ち破った24枚撮りフィルム、カメラにデジタル時計の技術を組み込んだオートデート機能、また、世界初の自動焦点カメラ「ジャスピンコニカ」など、いずれも徹底した市場調査により、ユーザーの視点に立ったアイデアから生まれたものである。技術的には画期的なものばかりではない。むしろ古い技術の応用にすぎないものもあるのだが、ユーザーが求めるものを発見し製品化するアイデアは、ユーザーにとって最も進化した製品を生み出していたといえるだろう。
  87年、小西六は社名をコニカ株式会社に変え、CIを断行して全ブランドをコニカに統一した。そのPRに1年間全国を巡航した飛行船コニカ号をご覧になった方も多いだろう。この時掲げられた基本理念の筆頭にあるのが「感動の創造」である。1枚の写真に感動した創業者が、写真による感動を大衆のものにしたいと願った夢がコニカを生み出した。小学生までもがレンズ付フィルム「撮りっきりコニカ」を手にしている現在の状況こそ、コニカが写真の歴史に残した足跡そのものということができる。





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